歌舞伎再開「半年ぶりの舞台で」

中村 吉右衛門 歌舞伎役者
エンタメ 芸能
新型コロナウイルスの影響であらゆる舞台が中止を余儀なくされたが、それは歌舞伎も例外ではなかった。歌舞伎座は3月の公演を取りやめ、ようやく再開されたのは8月の「8月花形歌舞伎」から。中村吉右衛門さんも半年間、舞台のない生活を経て、「9月大歌舞伎」の「双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき) 引窓(ひきまど)」で舞台に復帰し、濡髪長五郎を演じている。3月から舞台復帰までの日々を振り返る。
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中村氏

無観客の舞台をYouTube配信

 今回のコロナ禍というものは、もちろんまったく初めての経験でございます。生まれは戦中でもまだ小さくて戦争の記憶はありませんが、地震だとか台風だとかいろいろな災害を経験しております。それはそれで大変なことですが、まだ目に見えていますから、「ここをふさげば洪水は防げる」といった対策がとれます。ところがコロナは見えませんので、その認識を自覚するにはちょっと時間がかかりました。

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歌舞伎座は8月から再開

 私は3月の舞台では、「新薄雪物語」の幸崎(さいさき)伊賀守をつとめることになっていました。初日が3度延期になった後、公演が中止となりましたが、稽古はしていましたので、最後に舞台稽古を行い、後日、無観客での舞台をYouTubeでご覧いただくことになりました。

 よく皆さん、「無観客でどうですか」とお聞きになられます。私は、子どものころから、祖父であり養父でもある初代吉右衛門や実父(初世松本白鸚)などの先人から、役者というものはまずちゃんと自分の修業をして、その役を先輩たちが演じるのを見て覚えて、それから直接教えてもらって、そのとおりにやるんだと言われてきました。その際よく注意されたのは、ウケを狙うな、ここで手を叩かせてやろう、笑わせてやろう、泣かせてやろう、そんなことは考えるなということです。これはお客様には失礼な言い方になってしまいますけれども、昔の役者さんというのは口が悪いから平気でおっしゃいまして、スイカ畑でやっているように思え、と(笑)。要するにお客様の反応を得るために過ぎた演技をするようなことを戒めたものだと私は思っています。

 6代目中村歌右衛門のおじさまは、「私はお客様が一人になってもやるよ」とよくおっしゃっていて、観客の入りだとか、そういうものはすべて劇場なり会社にまかせて、舞台の芸、歌舞伎の芸ということだけに専念なさっていらっしゃいました。これは、初代吉右衛門も、実父も同様で、お客様が入っているから一所懸命にやる、入っていないから捨てるというような気持ちは持っていませんでした。ですから私も今回は、お客様のいる時と同じ精神状態で、何の変りもなくつとめさせていただきました。

 とは申しましても、歌舞伎の芝居の世界は、お客様と一緒に作り上げていくものです。お客様がいて、役者が芝居をして、ひとつの劇場の雰囲気、芝居の雰囲気が盛り上がるのですから、もちろん、お客様がいらっしゃるのが一番です。ただ、お客様の入りに左右されないということ、これは正しいことだと思っております。

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「引窓」の濡髪長五郎を演じる

散歩は夫婦でソーシャルディスタンス

 自粛中は、「うつるな、うつすな」ですから、ずっと自宅におりました。うちの娘が厳しく注意してくれます。ちょっと厳しすぎて精神的に参ったところもございましたが(笑)、今も無事でいられるのは、そのおかげかもしれません。

 自宅では、本を読んだり、台本を直したり、芝居の動きを考えたりしていました。

 本は鏑木清方先生の「紫陽花舎(あじさいのや)随筆」を枕元に置いてちょこちょこっと読み返しています。木挽町辺りの描写は、私も新橋演舞場の下を築地川が流れている頃を知っていますから、「ああ、そうだったよね」と思い出にふけることができますし、また、文章が素晴らしいんです。江戸時代の言い方や、お祭りのことなど、いろいろ芝居の役に立つこともあります。先生のお住まいがあった明石町界隈が、かつて外国人の居留地だったことはご本で初めて知りました。低い白塗りの柵があって、芝生があって、おうちの中も見えるくらい開放的な外国人のお宅があの辺にあったと想像すると、素敵だったんだろうな、風の通りもよかったんだろうな、と思います。

 ただ、読書も体は寝ているのと同じことですから、心配になってくるのは筋肉の衰えです。昔だったらひと月くらい寝ていても、それほど変わらなかったのが、ちょっと寝ているだけでワーッと筋肉が落ちるのが自覚されます。芝居が再開した時、スターターは回すけれどもエンジンが動いてくれるかどうか。それが不安で散歩を始めました。マスクをして、夫婦でソーシャルディスタンスをとって神宮球場の周りを回ったりしておりました。

 家では絵も描いています。子供の頃から好きで、描いているとつい夢中になってしまうので、体のことを心配する家内によく怒られてしまうんですけど、のめりこんでしまいます。最初は干支、次はお花の絵を描いたりしていたんですが、今は、役者絵を描いてみようと思って、自分の演じた役を描いて遊んでいます。すべてを描きたいんですが、なかなか遅々として進みません。それでも「石切梶原」「一條大蔵譚(いちじようおおくらものがたり)」の大蔵卿、「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」の河内山、「義経千本桜」の知盛、「熊谷陣屋(くまがいじんや)」の熊谷など10枚以上になりました。

来年は孫の丑之助と「盛綱陣屋」を

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : エンタメ 芸能