高砂親方、退任の辞「私も横綱になりたかった」

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もしあの優勝決定戦にオマエが勝っていたら――。千代の富士に言われた一言が忘れられない。(取材・構成 佐藤祥子・相撲ライター)

<この記事のポイント>
▶︎現役時代の一番の思い出は、1985年3月の初優勝。3度の優勝決定戦のうち、2度は千代の富士との取り組みだった
▶︎朝潮の対横綱戦の勝ち星「40」は歴代一位の記録である
▶︎朝青龍は、とにかくよく稽古をする弟子だった。稽古場で負けて泣いたのは彼が初めて

「角界の江川君」

 2020年12月9日、65歳の誕生日をもって、停年退職を迎えることになりました。近畿大学を卒業して大相撲の世界に入り、以来42年あまり。感慨深くもありますが、なにもこれで人生が終わるわけでもありませんから(笑)。

 現役時代は“大ちゃん”の愛称で人気を博した元大関朝潮の7代目高砂親方が笑う。1978年3月、2年連続で学生横綱、アマチュア横綱の座に輝いた長岡末弘は元横綱朝潮、5代目高砂親方のもとに入門。プロ入りの前から大きな注目を集めており、学生服姿で週刊誌の表紙を飾ったことも。同時期、やはり動向が大きな注目を集めていた江川卓氏になぞらえて、「角界の江川君」と呼ばれるほどの存在だった。

 おおくの部屋から声をかけていただきましたが、高砂部屋を選んだのは、一言でいえば「周囲の雰囲気を察した」からでしょうか(笑)。大学時代、大阪場所の時期になると、いろいろな部屋へ出稽古に行かせてもらっていたんですが、相撲部の監督が、「高砂部屋だけは、ちゃんこを食って風呂に入って帰って来ていいぞ」と言うのです。「ちゃんとこちらも(高砂部屋には)よくしてあるから、大丈夫なんだよ」と。そう聞くと監督と5代目高砂親方の関係を察しますよね(笑)。

 幕下付け出しで初土俵を踏み、幕下を2場所で通過して、5場所目で入幕しました。順調そのものだと思われるかもしれませんが、プロとアマチュアでは全然、違いました。稽古の厳しさも、体の作りひとつとっても違う。ある程度は通用するのではないかと思って入門しましたが、そんなに甘いものじゃなかったですね。

 プロ入りして一番下っぱになったので、多少は居心地の悪い思いもしました。大学時代は相撲部の下級生たちが身の回りのことを全部やってくれていたので。でも、自分のことは自分でするということだけですし、兄弟子も年上ばかりでしたから。もし年下の兄弟子がいたら、そこは違和感があったでしょうが。

 部屋にはベテランの高見山(元関脇)さんや富士櫻(元関脇)さんがいて、巡業先などでは、このおふたりが私を守ってくれている感じでもありました。

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高砂親方(左)と朝乃山(右)

酒はそこそこ

 当時、うちの部屋には30人近い力士がいました。新弟子はふつうちゃんこ番をするものですが、幕下はしなくてよい決まりがあったので、私はちゃんこ番をした経験はないんです。出世が早かったのもあり、周囲からのやっかみのようなものもなかったですよ。逆に「私にくっついていれば何かおこぼれがあるんじゃないか、美味しいものにありつけるのではないか」と若い力士たちは思っていたんじゃないですか(笑)。

 あのころは高見山さん、富士櫻さんと私が「高砂部屋三羽烏」と言われて人気もあったので、よく食事のお誘いもありましたから。でも私は堅くるしい席が苦手だったので、付け人たちとワイワイやることが多かったですね。酒はそこそこいけました。ウイスキーでいえば一本。店を3軒はしごすれば3本です(笑)。

 私の師匠の元朝潮は、稽古場では厳しかったけれど、あとはゴチャゴチャとうるさいことを言わない人でした。私が入門して、まだ東京の西も東もわからない頃に、日本橋の料亭などに連れて行っていただき、花柳界での振る舞いなどをいろいろ教えてもらったこともありました。私が仲居さんのことを「おばさん」と呼んでしまったときは、「女性はすべておねえさんと呼べ」とか、「ハイヤーを呼んだ場合は、運転手がずっと何時間も待ってくれているんだから必ずチップを渡すんだぞ」など細かいことを、こっそりと帰りの車の中で話してくれたものです。

富士櫻引退の場所で初優勝

 現役時代を振りかえると、一番の想い出は、やはり1985年3月の初優勝ですね。それまで3度も優勝決定戦を経験していたのですが、ことごとく敗れていた。それが、やっと優勝できたのです。

 決定戦のときは高見山さんと富士櫻さんがいつも花道の奥で見守ってくださっていました。ぎりぎりで賜杯を逃してばかりでしたが、ちょうど富士櫻さんが引退するという場所での初優勝で、この時は富士櫻さんに優勝パレードの旗手を務めていただきました。

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85年に初優勝

 3度の優勝決定戦のうち、2度は千代の富士との取組でした。最初は1981年11月場所。このとき私は張出小結で、千代の富士は横綱に昇進したばかりでした。本割では私が勝ったのですが決定戦は負けてしまった。後でこう言われましたよ。

「初めての決定戦では俺が勝ったけど、もしお前が勝っていたら、お前も横綱になっていただろうな。あの時は緊張しただろ? 俺も緊張したよ~」

 千代の富士とは同じ一門でしたから、しょっちゅう稽古していました。高砂部屋が本家にあたるので、横綱になる前から北勝海(元横綱・現八角理事長)と一緒に向こうが出稽古に来る。横綱に昇進してからも、よく来てましたね。当時の高砂部屋には、私のほかにも小錦や水戸泉などの大型力士がいたので、いい稽古相手だったのでしょう。

 千代の富士とは昭和30年生まれで同い年でした。向こうが6月生まれで、私が12月生まれ。一時は私のほうが番付は上だったのですが、そのうちに抜かれてしまい、向こうは横綱になった。一方の私は7度目の挑戦でやっと大関になりました。ワンチャンスをものにしていくのだから、やはり千代の富士は勝負強いんですよ。チャンスというものは、そうそう巡ってくるものではない。そのチャンスをとらえられるかが大事なのです。

 千代の富士の横綱土俵入りで、太刀持ちをやったことがありました。このときはいろいろと気を遣ってくれたものです。

 彼は「小さな大横綱」と言われましたが、じつは私より身長が高いんですよ。彼が185センチで、私は183センチですから。とにかく、まわしを取ってからの力が強かった。引きつける力がすごいのですよ。だからまわしを取られないように、こちらが突き放して突き放していくのですが、それでもパッとタイミングよく、まわしを取られてしまう。千代の富士は前傾姿勢でくるから、その体を起こそうと突き放すのですが、これがなかなか起きない。

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千代の富士

 その千代の富士に強くしてもらったのが、弟弟子だった北勝海です。本当に稽古熱心でした。だからこそ横綱になったんだと思います。私は高見山さんに胸を出していただいて、毎日ぶつかり稽古でドロドロになっていましたが、同じように北勝海は千代の富士に胸を出してもらって、転がされていましたね。

 朝潮の対横綱戦の勝ち星40勝は歴代1位の記録となる。横綱に土を付けた力士などが受賞する殊勲賞を手にすること10回。なかでも北の湖には13勝7敗(うち不戦勝1)という成績を残しており、うち金星は4つ。「北の湖キラー」とも呼ばれた。

 北の湖さんとの対戦成績がよかったのは、相性もあるかもしれませんが、気持ちの問題が大きかったと思います。入門した時は輪島さんと北の湖さんが横綱。プロの世界のトップでしたので、「この人に勝ちたい」と強く意識していました。「相手が強いから負けるのはしょうがない」というのはアマチュアの考え。相手が強いからこそ「自分が倒したい!」と思うのがプロなのですよ。

 相撲の型も同じ左四つで、私には取りやすい相手でもありました。北の湖さんは逃げも隠れもせず、バーン! と正面から向かってくるから思い切り当たれる。だから当時は、よく額から血を流していました(笑)。

 引退して、お互いが相撲協会の執行部にいたころは、会合の流れで北の湖さんと酒の席をご一緒する機会が多かったのですが、「俺は朝潮に対して苦手意識はなかった」と言うんですよ。負けず嫌いというか、なかなか認めない。「朝潮は顔が面白いから笑っちゃうんだよ。だから力が入らなかったんだ」って(笑)。

 酒の席では明るい人で、何本飲んだかわかるように、後ろにダーッとビールの空き瓶を並ばせるのですが、1ケースなんて、あっという間でしたね。日本酒から洋酒までなんでも来い。豪快な方でした。

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北の湖親方

横綱のプレッシャー

 2015年にその北の湖さんが亡くなり、2016年には千代の富士も。訃報を聞いたときは、もう驚きの一言です……。横綱は引退すると病気がちになり、短命だと言われることがありますね。じつは現役のころ師匠の5代目高砂親方から、「片目、片手、片足がなくなっても横綱大関になるんだという覚悟がなければ、横綱大関にはなれるもんじゃないよ。普通のことだけしていたら、普通のままで終わりだぞ」と言われていました。

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source : 文藝春秋 2021年1月号

genre : エンタメ スポーツ