オリヴィア・デ・ハヴィランド
©AF Archive/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ
オリヴィア・デ・ハヴィランドの名を聞いて、すぐさま顔を思い出す人は少ないかもしれない。初期の代表作『ロビンフッドの冒険』が1938年、『風と共に去りぬ』が39年の公開だから、すでに80年以上の歳月が流れている。
そのデ・ハヴィランドが、2020年7月、104歳の高齢で亡くなった。同年生まれのカーク・ダグラスが他界して5カ月後だ。長寿をことさらに騒ぎ立てる趣味はないが、彼らはハリウッド黄金期を体験した最後の生き残りだった。
私が最初に見たデ・ハヴィランドの出演作は『ふるえて眠れ』(1964)だ。一見地味な中年女優だったが、どこか謎めいた印象があった。なにを考えているのか、と思わせる不可解な屈折。腹黒いとか神経症的とかいった言葉をはみ出す怪しさが、ときおり匂った。
デ・ハヴィランドは、1916年、東京に生まれた。両親は英国人だが、父親が東京で教師を務めていたのだ。もっとも、彼女が日本にいた期間はごく短い。病弱な娘たち(1歳年下の妹が、あのジョーン・フォンテイン)の身を案じた母親が帰国を提案し、途中で下船したカリフォルニアにそのまま住み着いてしまったのだ。女遊びが絶えなかった父親は、同行していた日本人家政婦と東京へ戻っていったというからややこしい。
デ・ハヴィランドは、妹とも確執があった。姉は2度(46年公開の『遥かなる我が子』と49年の『女相続人』)、妹は1度(41年の『断崖』)、アカデミー主演女優賞を得ている(同じ年、姉もノミネートされた)。妹のほうも長命で、2013年に96歳で逝去した。
若いころのデ・ハヴィランドは、可憐な娘役が多い。『海賊ブラッド』(1935)をはじめ、エロール・フリンと共演した映画は10本近くあるが、おだやかな器量よしという感じで、記憶にはさほど刻まれない。『風と共に去りぬ』のメラニー役にしたところで、彼女でなければという理由はとくに見当たらない。
ただ、『蛇の穴』(1948)や『女相続人』といった危うさの漂う作品群に遭遇してからのデ・ハヴィランドは、見ちがえるほど精彩を放った。
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source : 文藝春秋 2021年3月号