先日、コロラド州ボールダーのスーパーで銃乱射があり10名死亡、とのニュースを見て思わず声を上げた。このキングスーパーズは私の住んでいたアパートからほど近い、何度か買物もしたことのある店で、世界的数学者シュミット教授のお宅にお招ばれの時は右折(ガールフレンドのジャンの所に行く時は左折)の目印としていた所でもある。
アメリカが銃乱射の国であることは半世紀も前に耳にしていた。渡米を控えた私に、ペンシルバニア大学数学教室での事件について恩師のⅠ先生が話してくれたのである。博士論文を落とされ大学院をやめた男が、数学教室での研究会に乗りこみ、銃を乱射し教官達を殺傷したのだ。先生は「そこにいて重傷を負った友人のゴールドマンの話では、銃声が聞こえるや全員がその場の床に伏せたという。さすがアメリカ人だ」と妙な所に感心していた。アメリカでは今も毎日100人以上の人が殺人、自殺、誤射など、銃により命を落としている。それどころか、独立戦争以来のすべての戦争における戦死者より、ここ50年の自殺や他殺など銃による死者数の方が多いというから驚く。
原因は住民100人あたり120丁の銃が出回っているからだ。所持理由のほとんどは「賊が入って来た時に家族を守るため」だが、実際は銃がらみの殺人のうち、正当防衛はほんの30分の1に過ぎない。銃規制を求める国民の声は強いものの、銃器購入者の身元調査を行うべき、未成年や精神障害者には売らないなどという腰のひけたものばかりだ。理由は合衆国憲法修正第二条に「人民が武器を保有し携帯する権利を侵してはならない」、という呆れるような文言があるからである。西部劇時代のままの憲法が今もまかり通っている。生命の安全は人権の中核の中核である。銃乱射が昨年だけで600件を超え、人々がそれに脅えている社会とは人権の守られていない国家だ。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが一昨年、アメリカへの渡航注意勧告を出したほどだ。
東隣りのアメリカの体たらくを心配するのは、西隣りの中世的国家中国が、ありとあらゆる人権侵害を傍若無人に行なっていて、これを抑制するには軍事力、経済力のあるアメリカが先頭に立ち、民主主義諸国と共闘する以外にないからである。
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source : 文藝春秋 2021年6月号