ジャーナリストの大西康之さんが、世界で活躍する“破格の経営者たち”を描く人物評伝シリーズ。今月紹介するのは、アルバート・ブーラ(Albert Bourla、ファイザーCEO)です。
アルバート・ブーラ
獣医師から経営トップに上り詰めた男の決断が世界を救う
変異株による感染爆発が収まらないインドや、ワクチン接種が遅々として進まない日本を除けば、世界各国ではワクチン接種が急ピッチで進み「コロナ制圧」に向かっている。ワクチンの量産に最も早く辿り着いたのは、前号まで紹介してきた独ベンチャーのバイオンテックであり、この小さな会社に2000億円を投資してワクチンの開発を支えた米メガファーマ(巨大製薬会社)のファイザーである。
その巨大企業のCEO(最高経営責任者)が「ギリシャ出身の獣医師」と聞けば、驚く人も少なくないだろう。先月号で紹介したバイオンテックの創業者はトルコ系移民の夫婦。副社長でワクチン開発の先頭に立ったのは、米国、ドイツを渡り歩いたハンガリー出身の女性科学者である。今、人類を救おうとしているワクチンは、彼ら「辺境の天才」たちの手によって誕生した。多様性こそがイノベーションをもたらすことを、彼らは雄弁に証明している。
アルバート・ブーラは1961年にギリシャのテッサロニキで生まれた。酒店を営む両親はイベリア半島系ユダヤ人。テッサロニキにいた5万人のユダヤ人の大半はホロコーストで命を落としたが、父親は仲間がアウシュビッツに連行された時、たまたまユダヤ人居住区を離れており、母親は義理の兄弟が銃殺隊に身代金を払って生き残った。
ブーラは1985年にアリストテレス大学の獣医学校でバイオテクノロジーの博士号を取得し、1993年にファイザーに入社した。ギリシャではテクニカル・ディレクターとして動物用医薬品の開発に携わった。34歳のときに妻と一緒にギリシャを離れ、以来ヨーロッパ、中東、アフリカなど4つの国の7つの都市を転々とする。幹部になって米国に腰を落ち着けたのは2001年のことだ。ヨーロッパ、アフリカ、およびアジア太平洋地域の部門のトップになり、米国の名門製薬会社ワイスのアニマルヘルス事業買収を成功させた。
2014年には動物用医薬品部門での経験を買われ、グローバルワクチン、腫瘍学、および消費者ヘルスケア事業のグループ社長に抜擢される。ガンや心臓病の治療薬に関する研究を主導した。
巨大組織のファイザーでブーラを見出したのが、彼のメンターでもあった前任CEOのイアン・リードである。スコットランドで生まれ、ローデシア(現在のジンバブエ)で育ったリードは、ロンドン大学を卒業して会計士の資格を取った後、業務監査人としてファイザーに入社。そこからCEOに上り詰めた「たたき上げの男」である。ファイザーのようなグローバル企業には世界中から多様な人材が集まり、株主は最も優れた人材に経営を任せる。
リードは2018年、後継含みでブーラを最高執行責任者(COO)に引き上げ、2019年1月には自分の後任CEOに指名した。翌年、そのタイミングと人選がベストのものであったことがわかる。
中国で新型コロナが猛威を振るい始めた2020年3月初旬、ワクチン開発をめぐる社内の会議でブーラは言った。
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source : 文藝春秋 2021年7月号