森村誠一 うつ病を乗り越えた「夫婦の証明」

森村 千鶴子 森村誠一夫人
ライフ 医療 ヘルス
老人性うつ病、認知症との壮絶な戦いの日々を夫人が語った
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森村千鶴子氏

公演前日に「行きたくないな」

 ちょっと、おかしいな。私が主人を見てそう感じるようになったのは5年ほど前のことでした。それまで、とても楽しみにしていた、混声合唱組曲「悪魔の飽食」の公演へ行くのを嫌がるようになったのです。

 この曲は、神戸市役所センター合唱団の求めに応じて主人が原詩を書き、池辺晋一郎さんが作曲してくださったもので、25年ほど前から全国各地で公演が開かれるようになりました。

 合唱の前には、池辺さんと合唱団長さん、そして主人の3人によるトークショーがあるのですが、それも好評でした。主人は、たくさんの聴衆に自分の作品を元にした合唱曲を聞いてもらえることがうれしいようで、「僕にファンクラブはないけど、あの公演がファンクラブの会合みたいなものだね」と口にしていたほどです。

 それほど思い入れがあったのに、あるときから公演前日になると、「行きたくないな」と口にするようになりました。出発当日になると本気で出かけるのを嫌がるのです。何とか説得して公演する街まで一緒に行くのですが、出迎えのスタッフから「どうかなさったんですか」と心配されるほど不機嫌な顔をしていました。

 ステージに上がると、高揚感もあって不機嫌な表情は消えるのですが、次第に池辺さんや団長さんとの会話が噛み合わないことが増えていきました。聴衆のアンケートにも、そんな主人のトークに批判的な感想がちらほらと見られるようになります。

 じつは本人も、「どうもおかしい」と感じていたようです。合唱団の関係者にうつを経験した方がいて、会うたびに長々と2人で話しこんでいました。いま思うと、うつかもしれないと思って、いろいろ症状を尋ねていたのでしょう。

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森村誠一氏

自分の頭をげんこつで叩いて

 その後、主人は心療内科へ通うようになりました。私がもう何年も胃カメラの検査をしてもらっている先生に、大学病院の心療内科医を紹介していただきました。その病院には認知症の専門医の先生もいたので、MRIなどの検査もしてもらいました。

 その結果、「森村さんはアルツハイマーなどの病気ではありません。年齢を重ねたことで、記憶が薄れるようになっているだけでしょう」とのことで、ひと安心しました。主人は昭和8(1933)年生まれですから、少しぐらいの物忘れは不思議ではありません。特別な薬も処方されませんでした。

 ところが、その後も物忘れはひどくなり、そのうえ「忘れる」ということに、本人がイライラを募らせるようになりました。そこで先生に相談すると、「いちばん軽い薬を使ってみましょう」ということになり、以来、その薬をいまも飲み続けています。

 最初にうつ病と診断された時は、主人が一人で受診したので、先生との間でどのようなやりとりがあったのかは分かりませんが、帰宅して「どうだったの」と私が訊ねたら、「うつ病らしいよ」と、しょんぼりしていたのを覚えています。

 主人の症状の特徴は、いま話していたことを口にしたそばから忘れてしまうことです。それがストレスなので、私に「いま言ったことを紙に書いてくれ、書いてくれ」と、繰り返し頼むようになりました。

 言葉が出てこなくて、主人が自分の頭をげんこつで叩いている姿を見たことがあります。主人は温厚な性格で、病気になる前は原稿が進まなくてもイライラしたり、モノや周囲に当たったりするようなことはありませんでした。そんな主人が自分に当たっている姿を見ていると、私もつらくなりました。

 主人は作家ですから、言葉を忘れていくことに強い恐怖感を覚えていたのです。今年の2月に『老いる意味 うつ、勇気、夢』(中公新書ラクレ)という本を出していますが、そこには言葉が出ないことに対するつらさを、自分の言葉で書いています。

〈頭から言葉が消失していくことなどはあってはならない。
 書けなくなった作家は「化石」である。
 作家にとって、言葉を忘れることは「死」を意味する。
 簡単には死ねないのである。〉

 そのうちに主人は、頭の中に浮かんだ言葉をチラシの裏へ書きだして、家中に貼りつけるようになりました。「処方箋」「漢方薬」「ストレス」「認知症」……ある言葉から連想される別の言葉を紙に書いては、玄関の扉やトイレのドア、寝室の入り口と、ところかまわず家中に貼りだすようになったのです。

 このときの心境を、本にはこう書いています。

〈言葉を書いた紙が取り止めもなく貼ってある。それを見ながら、私の脳からこぼれ落ちかけた言葉を拾いだし、それを脳へと戻していく。必死であった。

 こうしたやり方にどれくらいの効果があるかはわからなかった。だからといって、何もしないわけにはいかなかった。言葉を失いたくなかったのである。

 まだまだ小説を書きたい――。〉

 主人の焦りは私にも痛いほど伝わってきました。でも、「元気を出して」とか「頑張って」と励ますのはよくないと聞いていたので、ただ見守ることしかできませんでした。

体重がとうとう30キロ台に

 問題は他にもありました。うつが悪化していくにしたがって、ほとんど食事をとらなくなり、体重がどんどん減っていったのです。

 食べなくなったのは飲みこみが悪くなったからです。むせたり、のどの違和感が嫌だったのでしょうか。若いころの主人は食べることが好きで、あるときは夕食に10品も作ったことがあるほどです。それでいて学生時代のズボンがずっとはけるほど体型を維持できていたのは、山男なので、たくさん食べて、いっぱい体を動かしていたからでしょう。

 作家になってからも肥満には無縁で、やせ型でした。だから食べなくなってしまうと、見る間にやせ細っていき、体重もとうとう30キロ台にまでなってしまったのです。私も主人の好きなものばかりを食卓に並べたのですが、手を付けません。体重が落ちるのとあわせて、次第に気力も失っていきました。

 幸いなことに、頼りにしている担当編集者の方の奥様が看護師さんで、その方の勧めにしたがって、噛まなくても栄養をとれる流動食を試してみたところ、だんだんと食欲が戻ってきました。

 体重が戻ると、うつの症状も次第に快方へ向かい、紙に言葉を書いて貼ることもしなくなりました。

うつに加えて認知症の症状が出た

 うつは快方に向かいましたが、主人を苦しめていたものは他にもありました。もの忘れはうつのせいだと思っていましたが、ほぼ同じ時期から認知症の傾向も見られるようになったのです。

 老人性うつと認知症は紙一重だそうで、どちらかを発症すると、もう片方も併発しやすいそうです。主人の場合は、うつが先に見つかって、そのあと認知症が見られるようになったのです。主人は80代でしたから、認知症の症状が出ても不思議ではありません。私の親類にも認知症になった者は何人かいます。それでも、なぜか私は、主人が認知症になるとは考えたこともなかったので、正直にいえばショックでした。

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source : 文藝春秋 2021年9月号

genre : ライフ 医療 ヘルス