ケヴィン・コスナー
WEISSMAN, ALAN/Album/共同通信イメージズ
あのころ、ケヴィン・コスナーの人気は爆発的だった。「ゲイリー・クーパーの再来」と呼ばれ、映画スターの枠を超えたカルチャー・ヒーローと目されることさえあった。1980年代の終わりから90年ごろにかけての話だ。
人気が頂点に達したのは、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)に主演し、監督も兼ねたときだった。これはスー族の集団に身を投じた北軍中尉の物語だ。封切直後、私はアメリカの映画館に漂う異様な熱気に驚いた記憶がある。
終映直後のロビーでは、エモーションが沸騰していた。ふたり連れの白人中年女性が肩を抱き合い、「私たちって野蛮だったのね」と震え声を絞り出す傍らで、似たような年恰好の男たちが感動を抑え切れぬかのように唇を噛みしめている。
私自身、興味深く見た映画だったので冷水を浴びせるつもりはないが、その光景を見たときは、いささか情緒過剰の反応に思えた。先住民虐殺に対する自責や贖罪の念が、白人中間層の間で広がっていたのだろう。一過性の流行でなければよいのだが、と感じたことも思い出す。
映画は、アカデミー作品賞や監督賞などに輝いた。ケヴィン・コスナーは、「アメリカの良心」を体現する存在となった。1955年生まれだから、年齢は30代半ば。憂いを帯びた端正なマスクや、うしろめたさを秘めた気配もブースターとなる。そもそも彼は、その数年前から良質の娯楽映画につぎつぎと主演し、人気の基盤を着実に固めていた。
『アンタッチャブル』(1987)ではエリオット・ネス調査官を演じ、アル・カポネ(ロバート・デ・ニーロ)と渡り合った。『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)ではアイオワ州の農夫に扮し、幻を信じれば現実の残酷さに打ち勝つことができると証明してみせた。
共通するのは、真率なハートに対する信頼だ。極度に涙腺を刺激することはなく、非情なドライさを無理やり押しつけてくることもない。ほどよくリリカルな忍耐の姿勢が、観客の共感を呼ぶ。
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source : 文藝春秋 2021年9月号