トーマス・S・マラニー著、 比護 遥訳「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」

文春BOOK倶楽部

本郷 恵子 東京大学史料編纂所所長
エンタメ 読書

漢字とアルファベットをめぐる技術の変遷

 はじめてワープロ専用機を買ったのは、1986年だったと思う。値段は20万円以上で、当時大学院生だった私には、かなり勇気のいる買い物だった。キーボードで入力した文章が、きれいな活字になって打ち出されると、ひどく立派なことを成し遂げたような気がしたものだ。

 初期のワープロで苦労したのが漢字への変換である。いちいち時間がかかるうえに、使用頻度が低いJIS第2水準の漢字群については、必要になるたびに専用のフロッピーディスクをセットして、わざわざ読み込まなければならなかった。

 漢字の扱いの難しさを語る際には、英語との比較がよく持ち出された。何万にものぼる漢字に対し、アルファベットはわずか26文字。だからこそ欧米ではタイプライターが普及し、ワープロへの移行もスムーズだったというのだ。

 タイプライターは、近代的なビジネスやコミュニケーションに不可欠の効率性をもたらした。ただし、それは言語と不可分のものだから、他の機械や技術のように、国や文化を超えて利用可能というわけにはいかない。1880年代以降、タイプライターは世界市場に進出し、英語以外の言語にも対応するようになった。アラビア語のためには左から右ではなく、右から左に印字できるような調整がほどこされたが、一方で文字どうしの複雑な接続や変形は、大幅に単純化して表現することにされた。それぞれの言語に特有の文字体系や正書法が、タイプライターの機械原則に従属させられたといえるだろう。

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source : 文藝春秋 2021年9月号

genre : エンタメ 読書