偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム
★辻久子
バイオリニスト辻久子(つじひさこ)(本名・坂田久子)は、天才少女として注目され、戦前から戦後にかけて日本のクラシック音楽を支えた。
1973(昭和48)年、久子の演奏会が普段以上の大盛況となった。直前、3500万円のストラディバリウスを買うため自宅を売ったと報じられ、その音色を少しでも聴きたいと、聴衆が殺到したからだった。もちろん、客寄せに使おうなどとは思わなかったが、「展示会で弾かせてもらったら欲しくなって、帰宅途中に決めました」。
26(大正15)年、大阪に生まれる。父の吉之助は丁稚奉公からバイオリニストに転じた異色の音楽家だった。娘に才能があると分かると、朝から晩までバイオリンを弾かせた。その異様ともいえる情熱は、織田作之助が『道なき道』で描いている。
38年、毎日新聞社主催の音楽コンクールで、12歳ながら1位になりクラシック・ファンを驚かす。新交響楽団(後のNHK交響楽団)に招かれていた指揮者のローゼンシュトックも、審査員として久子の演奏を聴いて「悪魔の子」と驚嘆したといわれる。
大戦末期には、「満洲の影の帝王」と呼ばれた甘粕正彦が作った全満合同交響楽団のソリストとなり、満洲各地で演奏旅行を続けた。あるとき宴会で演奏した後、甘粕が「ご苦労さん」とご祝儀を出した。久子は「そんなものいりません」と断ったので周囲は凍りつく。しかし、それが気に入ったらしく、以後、何度も呼んでくれたという。
戦後はコンサート活動を繰り広げたが、必ずしも国内の評論家たちの評価は高くなかった。ところが、55年にソ連から有名バイオリニストのオイストラフが来日し、久子の演奏を絶賛すると、たちまち「右へ倣え」で称賛されることが多くなる。
最初の結婚は伴奏したピアニストとだったが7年目に終わった。2度目は北海道公演を支援してくれた9つ下の男性で「あなたは鳥、私は止まり木」とプロポーズしてくれたという。84年、半生を描いたテレビドラマ『弦鳴りやまず』では、樋口可南子が主役を演じた。
年齢を重ねるにつれて、若い人たちの音楽教育に、多くの時間を割くようになる。93(平成5)年に桜宮弦楽塾(後に辻久子弦楽塾)を開いて、大阪芸術大学で学生の指導にあたった。「父が亡くなったとき、一緒に全国をかけめぐったことを思い出し、涙がとまりませんでした」。
(7月13日没、不明、95歳)
★酒井政利
音楽プロデューサーの酒井政利(さかいまさとし)は、手掛けた新人歌手の「未来の姿」を描きながら、多くのスターを育てた。
日本コロムビアで頭角を現わし始めた頃、美空ひばりの担当を命じられる。ひばりの母親に挨拶に行くと、「お嬢一人に集中してもらいます」と言われ反発し即答しなかった。数日後、「気が強い人は、お嬢には向かない」と断られ、むしろ感謝したという。
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source : 文藝春秋 2021年9月号