銃を奪われた熊ハンターの7年戦争

伊藤 秀倫 ライター
ニュース 社会 ライフスタイル

北海道で羆と向き合った男は「危険発砲」に問われ……

「主文、原判決を破棄する。同公安委員会の控訴を棄却する」

 2026年3月27日午後3時、最高裁第三小法廷。林道晴裁判長がそう言い渡すと、法廷内に小さなどよめきがおこった。

 7年間に及ぶ「砂川猟銃返還訴訟」が完全決着した瞬間である。

 ことの発端は2018年8月、砂川市において、羆(ひぐま)の有害駆除中だったハンターの池上治男氏(北海道猟友会砂川支部長・69歳・年齢は当時)が放った一弾にある。

 これに対して北海道公安委員会は、「(池上氏が)弾丸が到達するおそれのある建物に向かって発砲した」として、その猟銃所持免許を取り消す処分を下したのである。池上氏は処分取り消しを求める行政訴訟を起こし、一審(札幌地裁)では勝訴するも、二審(札幌高裁)では一転、敗訴。三度目の正直で臨んだ最高裁で、逆転勝訴を勝ち取ったのである。

 昨今、全国でクマ被害が激増する一方で、これを駆除するハンターは減少の一途を辿っている。そんな背景もあって1人の老ハンターの闘いは全国的に注目を集めた。池上氏がすべてを語った。

「(判決を聞いた瞬間)『勝った!』と思って横をみたら、なぜか弁護士の先生たちは、みんな黙りこくってるんだ。アレ、オレの勘違いかな、と一瞬不安になったよ」

 しばしの沈黙。やがて弁護団の1人、平祐介弁護士が身体を沈み込ませながら「ふーっ」と溜息をつくと、右手を差し出してきた。

「手汗でびちゃびちゃだったね」

 経験豊富な弁護士にとっても最高裁の法廷とは、そういう場所なのだ。

池上治男氏(筆者撮影)

 その日の夜は祝杯となった。

「(彼らは)まぁたくさん飲むんだわ」と池上は笑うが、勝利の美酒では洗い流せないものも残った。

入社3年で4回の遠洋捕鯨

 池上治男は1949(昭和24)年、北海道空知郡上砂川町で生まれた。北海道のほぼ中央、札幌から北へ約100kmに位置し、炭鉱で栄えた町である。池上の父も三井砂川炭鉱に勤務していたが、太平洋戦争では旭川第七師団の一員として、千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に派遣された。終戦後の1945年8月18日にソ連軍が侵攻し、激戦となった島である。

「親父はそこで戦って捕虜となり、2年間抑留されて、ようやく帰ってきたんだ」

 父の復員から2年後に生まれた池上は砂川南高校に進学。剣道部では主将を務め、美術とトランペットに熱中した。

「よく山に向かって吹いてたんだ。それで『海の上でトランペットを吹いたら気持ちいいだろうな』と」

 そんな海への憧れから、北海道大学水産学部に進むが――。

「最初の航海実習で、心臓が口から飛び出るかと思うほどのひどい船酔いになってね。とてもじゃないがトランペットどころじゃなかった」

 そんなある日、池上にとって人生を決める新たな出会いがあった。

「北大の少林寺拳法同好会の人たちが道場の外でデモンストレーションをしてたんだな。『ちょっと手で掴んでみてください』と言われて、掴んだら、あっさり投げられた。『これは面白いな』と思って、すぐ入部したんだ」

 たちまち少林寺拳法にのめりこんだ池上は「いずれ自分で道場を開きたい」という夢を持つようになる。

 大学卒業後は、大手水産会社「極洋」に入社し、捕鯨部魚撈課に配属された。大海原で鯨を追う同社の花形であり、新人としては異例のことだった。だが、入社3年で4回の遠洋捕鯨に出た後、池上は退社を決断するに至る。

「仕事は大変だけど、面白かった。ただ、世界的に反捕鯨の流れがどんどん強くなる時期だったんだよな。少林寺拳法をもっと世の中に広めたいという自分の夢もあったし、正直にいうと、故郷の『ピンネシリ』(上砂川町の西に位置する山。標高1100m。アイヌ語で「男の山」の意)が恋しくなったんだな」

 こうして池上は1975年、25歳のときに上砂川に帰る。ちなみに極洋の捕鯨部が廃止されたのは、その翌年のことだ。

「市長に会わせてくれ」

 故郷に戻った池上は少林寺道場開設のために早速、動き出す。

「滝川市の市役所にアポなしで行って『市長に会わせてくれ』と頼んだら、当時の吉岡清栄市長が会ってくれてね。『青少年育成のために少林寺拳法を教えたいから協力してほしい』と言ったら、その場で秘書を呼んで、『今度新しくできる青少年センターを、この人に使わせてあげなさい』と。すごい人だと思ったね」

 もっとも少林寺教室はボランティアであり、池上が本業として新たに始めたのが学習塾だった。高度経済成長期の最中、砂川でも子どもが増えていたが、教育環境は十分とはいえなかった。そのため「池上塾」には生徒が集まり、しかも彼らが地元トップの高校に続々と入ったことで、大評判になった。

 その池上がハンターとしての道を歩み始めたきっかけは、いきつけの喫茶店のマスターの言葉だった。

「最近、この辺の農家でカラスの被害がひどいんだけど、駆除するハンターの人手が足りないんだ」

 このマスター自身、猟友会の事務局長を務めるハンターだった。

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source : 文藝春秋 2026年8月号

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