吉田茂、岸信介、安倍晋三、トランプ、習近平……。日本を救えるのは誰か? 明治維新から米中対立まで、全5時間の大討論!
(左から)葛西氏、老川氏、冨山氏、片山氏
戦後に現れた指導者たち
——最後の第4章では、戦後から現代にかけての指導者たちを見ていこうと思います。戦時中の日本では、現実を客観視できず、的確な判断ができなかった指導者が目につきました。しかし戦後には、戦後処理や復興を一手に担った吉田茂、日米安全保障条約改定を推し進めた岸信介など、後世に名を残す指導者たちが登場します。
片山 吉田のキャラクターを一言で言えば、「反共主義者の親英米主義者」です。戦前までは一介の外交官ですが、その立場にありながら大正から昭和までの政治を内側から見ることができたのは、昭和天皇の側近・牧野伸顕の娘婿であったことが大きい。近衛の犯した失敗も含め、負の側面を全て知り尽くしていました。戦争末期には、早期終戦工作にかかわり陸軍刑務所に投獄された経験も戦後は勲功となり、次々と政治家が公職追放される中で、占領時代の唯一の“タレント”として見出されることになりました。
吉田が幸運だったのは、彼の持つ信念やキャラクターが時代に上手くマッチしていたことです。少なくとも、終戦直後の極限的な状況の中での、最適な指導者だったと思います。反共・親英米である吉田は、「共産主義は日本を滅ぼす」「経済も軍事もすべてアメリカに頼っていけば、日本は国際社会で生き残れる」と強い信念を持っていた。その信念を貫いて、敗戦の焼野原から日本を上手に離陸させました。まさに時代が要請したリーダー、和製チャーチルと言うべき存在でした。
葛西 吉田は1951年にサンフランシスコ平和条約に調印、同時に日米安全保障条約も結びました。そして軽武装・経済重視の「吉田ドクトリン」を打ち出し、日本は戦後復興の道を歩んでいくことになります。
平和条約締結当時、私は小学校5年生でした。あの頃、サンフランシスコ平和条約を結ぼうとする吉田に、東大の南原繁総長が反対していたことを思い出します。吉田が目指していたのは自由・民主主義陣営との講和締結でしたが、南原の主張はソ連や中国などの東側陣営も入れた全面講和でした。つまり、日本は永世中立を守るべきだと。それに対して吉田が「曲学阿世の徒の空論に過ぎない」とバッサリ切り捨てたのを新聞で読んだ記憶があります。「三国同盟の時の誤りを絶対に繰り返してはいけない」という決意が、吉田の骨の髄まで染み込んでいたのだと思います。
吉田茂
ディプロマティック・センスの重要性
老川 当時の世論は、単独講和と全面講和の真っ二つに割れていました。しかし、冷戦下での全面講和は現実的な路線ではありませんでした。ソ連も中国も絶対に認めるはずがありませんから。吉田は講和の早期締結のために単独講和で押し切った。その姿勢が実に堂々としていたので国民も支持したのですね。
駐英大使まで務めた外交官としての長年の経験も、吉田の政治に影響を与えていたと思います。彼の著書『回想十年』(中公文庫)に、非常に印象深いエピソードがあります。外交官の見習いとしてニューヨークに駐在していた頃、米大統領の顧問だったハウス大佐から「ディプロマティック・センス(外交感覚)」の重要性を説かれたと。ハウス大佐は、ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世に対して、国際秩序を乱すことになるので、主戦的な態度はやめた方がいいと、忠告したことがあるという。つまり外交では、自分たちの行動が他国から見てどう映っているのか、状況を客観的に判断して行動することが重要だと教えられたというのです。この大佐の教えが、常に吉田の外交の根っこにあったのではないでしょうか。国際社会においては、「信用」がいちばん大事なのだと。だからこそ、日本の国家としての信用を回復すべく、講和の早期実現を目指したのだと思います。
葛西 当時の吉田の判断は正しかったと思います。ただ、戦争直後につくられた日本国憲法をそのまま独立国の憲法として使うのであれば、この時にもう一度議論しておくべきでした。憲法制定に関しては、東西に分断され、国境を挟んで東側とにらみ合っていた西ドイツはもっと慎重でした。西ドイツは戦争直後に、共産党を非合法化した暫定憲法を作りましたが、本格的な憲法は将来、東ドイツが統合されたときに制定するとしたのです。
サンフランシスコ平和条約締結の際の国内論争は、「外向き」の問題意識がなく、国内において東側陣営に傾斜する野党との政権闘争に明け暮れるという国内冷戦のはじまりのような出来事でした。
吉田茂とマッカーサーを巡る逸話
冨山 私は1960年生まれですから、物心ついて吉田茂という人物を初めて認識したのは、1967年におこなわれた国葬でした。戦後初の国葬として日本武道館で営まれ、数万人が参列に詰めかけた。子ども心に「吉田茂ってすごい人なんだ」と思いましたね。
あの頃を振り返ると、当時の小学校教育は日教組の影響が強く、教科書を開くと「韓国は問題だらけで、北朝鮮は素晴らしい」なんてことが書いてあった。都知事選では、社会党と共産党を支持基盤とするマルクス経済学者の美濃部亮吉が選ばれた時代です。吉田さんは根っからの反共主義ですから、世間との間に「読売対赤旗」くらいのギャップがあったでしょう。そうした戦後の空気に対峙しながら政権運営をやっていくのは、想像するよりもずっと大変だったはずで、精神面も強かったのだと思います。戦中の親英米派としての活動や投獄体験で鍛えられた面もあるかもしれません。
片山 自らの意志を貫き続けたチャーチルやドゴールのように、人間的な強さを持っていたのは確かですね。
老川 『指導者とは』の著者ニクソンは吉田を、戦後日本を代表する指導者の一人として挙げている。同書や吉田の『回想十年』では、吉田とマッカーサーを巡る逸話が紹介されています。戦後、食糧や物資が不足するなか、吉田はマッカーサーに「450万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」と訴えたものの、実際にアメリカからは70万トンしか送ることが出来ませんでした。ところが、その後、日本では餓死者が出たという話はない。マッカーサーが吉田に問いただしたところ、実は必要分よりもかなり多い数字を吹っ掛けていたことが分かったという話です。ニクソンは、敗戦国の立場でありながら肝が据わっていると吉田を褒めている。確かに、人並外れた胆力ですね。
片山 吉田は都合7年もの長きにわたり安定した政権を築きましたが、戦後の公職追放が解け、鳩山一郎、岸をはじめとしたライバルが戻ってくると、あっという間に潰されました。最後は、バカヤロー解散、造船疑獄での指揮権発動などで、少々みっともない終わり方だった。このあたりが、終戦後に選挙で大敗を喫したチャーチルとも重なります。
最近、吉田の書簡集を改めて読み返しているのですが、これが本当に面白い。自身を強烈に批判していた河野一郎については「何もさせるな」「絶対に排除しろ」と周囲に手紙を送り、60年安保の際は岸宛に「とにかく自衛隊を出動させて事前拘束でも何でもしろ。この際、社会党と共産党も一気に潰せ」と書き連ねている。チャーチルもびっくりですよ(笑)。
こうして見ると、吉田は登場する時代を間違えていたら、ただの変人止まりだったかもしれません。ともすれば、日本を悲惨な方向に導いていた可能性もある。それが吉田茂という人間の面白さでもあります。
“蟹の死ばさみ”ということも……
葛西 吉田の退陣後、1957年に誕生したのが岸政権でした。戦後日本で最も画期的な業績を成し遂げた総理大臣は岸信介でしょう。第2次世界大戦後、「核」という絶対的な抑止力が生まれましたが、岸は1960年に日米安保条約を改定することで、米国の核抑止力の傘に入ることを決断した。あれは、その後の日本の奇跡的な平和と繁栄を生んだ慧眼でした。
一方、国内では反安保闘争が巻き起こりました。1959年当時、私は大学1年生。全学連の計画するデモに参加するか否かのクラス討論が開かれました。「デモの前に、日本の安全保障はいかにあるべきか議論しよう」と私が言うと、「君は随分遅れているね」の一言で切り捨てられた。しかし後に多くの級友が「実は自分も同じ意見だったが、黙っていた」と私に打ち明けました。「声なき声」だったわけです。最終的に安保は絶対多数の「声なき声」に支えられて国会を通りました。安保反対闘争は、サンフランシスコ条約以降から常態化した国内冷戦の、一つの象徴的な出来事だったと言えます。
老川 あの頃、私も大学生になったばかりでした。当時の私には安保条約がよく理解できず、周りの友人がデモに出掛けるなか一人だけ様子を窺っていました。ところが衆議院の強行採決の様子を見て、「これで議会制民主主義と言えるのか」と、さすがに私も疑問を抱きました。東大の女子学生が命を落とす事件も起こっていた。それからデモに参加するようになり、群衆に交じって「岸を倒せ!」と叫ぶようになったわけです。それが読売新聞入社後、すでに首相を退任していた岸さんに直接取材するようになりました。
私のような若い記者と接する時は好好爺然としていましたが、政治勘は抜群でしたね。田中角栄政権が金脈問題でいよいよ倒れそうになり、岸さんが推していた福田赳夫が次期総裁確実とみられていた頃、岸さんに「田中もそろそろ持たないでしょう」と話題を振ると、ニコニコしながら「まあ、しかし“蟹の死ばさみ”ということもありますからね」という答えが返ってきました。蟹は一度ハサミで挟んだら、死んでも決して離さない。蟹とは角栄のことですが、その執念深さを見くびると危ないぞ、という意味だったのでしょう。
蓋を開けてみたら、椎名裁定でダークホースの三木武夫が指名された。岸さんが言ったことは、図星だったわけです。物事の展開を見抜く鋭さにおいては、他に並ぶ政治家はいませんでした。
岸信介
「沖縄返還」と「非核三原則」
葛西 佐藤栄作は、1972年の沖縄返還によって戦後27年続いた米軍統治を終わらせました。その意味で一時代を開いた人物と言えますが、沖縄返還に際して在沖米軍基地の核兵器が問題となり、国会で「非核三原則」を言明した。そこまではいいのですが、さらに国会決議までして国是としたのは間違いでした。あの時こそ佐藤は、日本の平和を守っているのは核抑止力なのだという事実を示し、核抑止力の必要性を説くべきだったのではないでしょうか。
老川 いや、国会決議は佐藤さんの本意ではないんですよ。非核三原則が衆議院で決議された際、佐藤さんは相当怒っていましたから。「総理が最初に言い出したことなのに、なぜ怒っているのか」と聞くと、「非核三原則はあくまで政策なんだ。国会決議なんてしたら国是になってしまって、身動きがとれなくなる」と。安全保障上の危機に際しては核持ち込みもできるよう、曖昧にしておくのが佐藤さんの考えだったようです。だが野党の抵抗で国会審議は難航し、返還協定を国会で通すためには、非核三原則を国会決議に格上げするしかなかった。これが実際の経緯です。何かを切り捨ててでも目標を成し遂げた点で、吉田と佐藤は似ているかもしれません。
佐藤栄作
冨山 田中角栄は、日本が経済的な安定期に入った時代に、「日本列島改造論」を掲げて登場しました。彼のオリジナルな功績は、社会主義を使わずに所得再分配は可能なのかという問いに一つの解を示したことです。角栄が編み出した仕組みは公共投資でした。高速道路をつくり、国鉄に新幹線の線路を引いてもらって、都市部から地方まで均衡ある発展を成し遂げようとした。非常に画期的なモデルでした。実際、田中政権以降、地方の人口は増加に転じ、バブル崩壊まで増加を続けます。また、県民所得の伸び率における太平洋ベルト地帯とそれ以外の地域の格差も、1972年以降は縮小していきました。
葛西 ここ数年、角栄再評価のブームが起きていますが、私はあまり評価していません。田中角栄の列島改造論は土地投機ブームを誘発し、それが石油危機と相まって、狂乱的な物価高騰を引き起こしました。当時の国鉄もその煽りを食って、ずいぶん苦しみました。冨山さんの言われるように、公共投資には所得配分効果がある。しかしそれは、投資先を国が適切に選択できた場合に限ります。日本列島改造のように地図全体に広げてしまうと、単なるポピュリズムに陥ってしまうと思います。
田中角栄
小細工的な政策より、国家観を
冨山 日本は、特に冷戦終結後、再び内向きに回帰した印象があります。政治改革、不良債権問題、阪神・淡路と東日本大震災と、国内の対応で手一杯になってしまった感がありますね。その前の段階で際立って偉大だったと言えるのは、吉田と岸の2人かもしれません。2人に共通する特徴は、自分の置かれた状況も含め、国内外の事態を客観視する「メタ認知能力」が優れていた点だと思います。このメタ認知能力は、老川さんのおっしゃっていた「知性」と言い換えられるかもしれません。吉田、岸は2人とも外向きで、世界的な流れを読み取ることで、それに合わせて日本という国家を「リデザイン」したところに功績があったと言えます。具体的に言えば、吉田は軽武装・経済重視という新しいグランドデザインを示した。岸は、日米関係を対等なものに戻し、日本の独立性をハッキリさせたと言えると思います。
いま、米中対立が激化するなかで、日本には新たな危機が迫っています。日米、日中の間である種“踏み絵”のような、立ち位置を問われる機会が増えることも予想されます。日本のリーダーは、これから先の国際情勢も踏まえた上で、新しい国家のグランドデザインを示さなければならない。
どのように「リデザイン」するか。自民党総裁選の各候補者の話を聞いていると、成長戦略などやや小細工的に見える政策ばかりが目立ちます。もちろんそれらも重要ですが、次期首相には、大きな国家観を示すことが求められている。目前の課題への対症療法的な議論ばかりに目を奪われていては、大した功績を上げられない。むしろ、その背景にある大きな歴史の流れの中で、国の再設計を議論すべき時期が来ている。その意味で、戦後のリーダーに学ぶことは多いのではないでしょうか。
ギアチェンジで民主主義は生き残る
——コロナ対策の初期においては、欧米の先進国よりも、中国の強力な監視・追跡社会に軍配が上がったように見えました。一方、トランプ政権によるアメリカ政治の混乱もあり、民主主義体制の限界を指摘する声もあります。米中対立の激化が予想されるなか、日本をはじめ民主主義国家のリーダーは、どうしたらこの試練を乗り越えることができるでしょうか。
老川 たしかに、強権国家を持て囃す風潮も散見されますが、私はやはり自由や民主主義に代わる価値観はないと思っています。だいたい、中国共産党による一党独裁の裏側で何が行われているか、わからないことが多い。
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source : 文藝春秋 2021年11月号