『人新世の「資本論」』著者が財政を斬る
斎藤氏
「国のお金に無頓着な社会」を危惧する
コロナ禍で多くの人々の生活が困窮している中、緊急時の財政出動が必要なのは間違いありません。その意味で矢野論文は、その庶民の感覚とのズレが反発を生んだし、私の立場とも異なります。一方で、「バラマキ合戦」を続けていたら、国家に大きな問題を引き起こすと警告を発し、財源の問題に一石を投じた矢野論文の意義は大きいと考えています。
ただし、「バラマキ合戦」を懸念する理由は矢野論文とは異なります。財政規律そのものよりさらに重要なことがあると私は考えるからです。プライマリー・バランス(基礎的財政収支)の状況に一喜一憂しているだけでは、だめなのです。将来、何が起こるのかを踏まえ、「何に対して、国のお金をどれだけ使うべきなのか」「その財源をどんな形の税で、誰からとるのか」というところまで、国民一人ひとりが考え、議論に参加するということが「財政民主主義」の基盤だということを重視したい。つまり、限られた予算があるからこそ、教育や医療、再生可能エネルギーを重視するのか、それとも軍事や大企業や原発への補助金を優先するのかで、論争が起き、民主主義が育まれるのです。
ところが、反緊縮的「バラマキ合戦」で、「軍事も教育も、足りないところへはどんどん出せばいい」という「国のお金に無頓着な社会」になってしまったら、無駄使いや縁故主義が蔓延し、民主主義の基盤は崩れてしまうでしょう。私はそうなることを最も危惧しています。
とくに、この「バラマキ合戦」が自民党総裁選や衆院選を前にして、政治家自身の利益のために行われたことは問題視すべきです。
振り返ってみれば政府は昨春に10万円を給付したきり。自民党はやろうと思えば、もっと早くに現金給付の第2弾を行うことができた。それなのに、なぜこのタイミングで現金給付をアピールするのか。自民党が勝つための、票集めの「バラマキ」なのは明らかです。これは選挙の公平性を著しく毀損します。
矢野論文が「バラマキ合戦」と揶揄する今の政治状況を見ていると、日本の政治家たちが大切な国家の財源を、短期的な自己の目的のための道具として扱っていることがわかります。本来、選挙前には、政治家は長期的なビジョンを示し、そのためにどう財政を扱うのかを提示するべきです。そして、選挙とは、国民がそれについて議論すべきタイミングです。
このようなときに「バラマキ」が喧伝され、国民が財政を通じて国の将来的方向性について考える機会がつぶされている。こんなことが続くかぎり、日本に民主主義は根付きません。
お金の力を過信している
長期的なビジョンのない政治家たちに財政を任せっきりにしているのは、大変、危険なことです。一方、欧米では長期的な危機に対応すべく、税の集め方、使い方を積極的に変えてきていて、このままでは日本は遅れるばかりです。
もう少し具体的に言えば、資本主義が引き起こしている「2つの危機」に対して、国のお金をどう使って解決していくのか、ということが欧米ではポスト・コロナの政策課題として共有されているのです。
ひとつめの危機とは、経済格差の問題です。コロナ禍で仕事や住居を失った人々が大勢います。一斉休校で途方に暮れたシングルマザーやバイトがなくなった学生など、負の影響はさまざまな人に及びました。その一方で、一部の大企業や富裕層は富を大幅に増やしました。このように貧富の差が拡大している現実を前にすれば、ある程度の財政出動は必須です。
ただ、それとは別に長期的にこの貧困の問題をどう解決するのかも考えなくてはならないわけです。
その際、お金をバラまくことが問題解決の近道と考える政治家や学者は、あまりにお金の力を過信しています。例えば、国民全員に毎月5万~10万円を配るというベーシックインカムも、それで低所得者への手当は済んだと考えるのなら、問題です。むしろ労働条件は悪化していく可能性があるからです。
それにもかかわらず、なぜベーシックインカムが好まれるかといえば、お金をバラまけば、労働条件や労働分配率をめぐる争いを迂回して、社会問題を解決できるかのような幻想があるからでしょう。
逆に、お金を使わなくても解決できる問題がたくさんあることも見落とされがちです。矢野論文でも、コロナの病床確保などが例に挙げられていましたが、ほかにも夫婦別姓や同性婚のようなジェンダー格差の解消もお金をかけずに解決できる重要な社会問題です。
「人新世の危機」は続く
経済格差の問題よりも、さらに深刻なのは、資本主義が引き起こしたもう一つの危機である気候変動です。人類の経済活動が地球環境を破壊する「人新世」の時代に突入したといわれていますが、「人新世の危機」とも呼ぶべき環境危機は、非常事態がずっと続いていくという意味で、コロナ禍よりもはるかに深刻です。むしろ、コロナ禍における混乱は、そのリハーサルでしかないといっていいでしょう。
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source : 文藝春秋 2021年12月号