北条義時とは何者? 話題の大河ドラマへ、いざ出陣!
本郷和人さん(左)と恵子さん(右)
鎌倉時代の研究者夫婦
本郷和人(以下、和人) 2022年1月からNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(三谷幸喜脚本)が放映されます。そこで、鎌倉時代の研究者である私たちに、主人公である北条義時ら登場人物やその時代について語りあってもらいたい、というのが編集部からの依頼です。それにしても、こうやって夫婦で対談するのは、初めてだね。
本郷恵子(以下、恵子) そうね。みなさん遠慮されているのか、こういう依頼はまず記憶にありません。今日は、研究者同士ということで少しかしこまって話をしましょう。
和人 そうしましょう。読者のみなさんのために説明しておきますと、私も恵子さんも、同じ東京大学の国史学科に学んだ同級生で、現在は、同じく東大史料編纂所の教授です。トホホなことに職場では、恵子さんは史料編纂所の所長でして、私の上司にもあたります。
恵子 和人さんは、大河ドラマに合わせて、『北条氏の時代』という新書を出しましたね。普段は、著作を全部読むわけじゃないですけれど、きっちり読ませてもらいました。
和人 この本は私にとって、渾身の一冊です。この対談でもじっくり語ることになりますが、北条義時や姉の北条政子については、それこそ山のように本が出ていますし、これからも出るでしょう。しかし、義時や、政子のような北条氏の草創期の人物にはじまり、御成敗式目をつくった泰時、元寇に対応した時宗、幕府滅亡時の当主高時まで、150年にわたる鎌倉幕府と北条氏の歴史をリーダーシップの観点から分析し、わかりやすく紹介したものは、例がないと密かに自負しています。
本郷和人氏の著書
玉の輿ではなかった政子
恵子 それでは、北条氏とは、そもそもどのような一族なのか、から話を始めましょうか。
和人 いきなりですが、北条氏は非常に研究者泣かせなところがあって、出自がよくわからない。祖先が平氏なのは間違いなさそうですが、義時の父である時政以前の史料がほとんど残っていません。北条氏発祥の地である伊豆の北条(現・伊豆の国市)を発掘した考古学の分野の人たちは、立派な屋敷跡があり、それなりの勢力だったと主張していますが、僕は地方の小さな武士団の一つと考えています。理由は、当時の有力な武士は千葉介常胤、上総介広常でもわかるように、「介」などの官職を持っています。ところが、北条氏にはそれがない。100年ほど後に書かれた鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鏡』に時政が最初に登場した箇所では、無位無官の北条四郎と記されています。
恵子 そうですね。同じ箇所で、時政のことを「豪傑」と書いていますが、軍事力も大したものではありません。北条氏の子孫たちは御先祖を褒めようとしたけれど、褒めるところがなかった。苦心の跡がうかがえます。北条氏の身分は低かったようですが、三島にあった伊豆の国衙、いまでいう県庁に出入りしていた武士だったと考えられます。
そんな北条氏が一気に飛躍を遂げたのは時政の娘、政子が源頼朝と結婚したことでした。後世からすると、頼朝との結婚は「玉の輿」のようなイメージがありますが、そう簡単なものではありません。当時の最高権力者である平清盛に歯向かった源氏の一族として、伊豆に流された罪人だったからです。
和人 頼朝の立場をよく表している逸話が残っています。頼朝は政子と出会う前に伊豆で、伊東祐親という武士の娘を見初め子供をもうけていました。しかし、これは祐親の許しを得ないもので子供は殺されています。頼朝はそれだけ危険な人物だったのです。しかし、逆にそこが魅力だった可能性はあります。伊豆の田舎に京都出身の雅で「ヤバい」若者が流されてきて、政子がポーッと惚れてしまった(笑)。
恵子 この時代の婚姻関係は、現代の私たちが考える以上に重いものです。落ち度があったときは、姻戚関係のある人間も責任を取らされ、一族もろとも皆殺しになることもあります。時政も当初は結婚に反対しました。しかし、政子が絶対に頼朝と結婚する、と強く出たことから、最後はシブシブ認めたようです。
では時政がこの結婚を足掛かりに、天下を動かすような大博打をするつもりだったかといえば疑問が残ります。時政にも野心はあったでしょうが、新しい政治体制をつくろうとするものではなく、既存の秩序の中で、それなりに偉くなりたい、少しでも領地を増やしたいという程度のものだったでしょう。
和人 最初はそんな感じだったでしょうね。頼朝は見事に東国の武士をまとめ、1180年、後世「鎌倉幕府」と呼ばれる独自の権力を打ち立てます。
主演は小栗旬 ©NHK
未成熟な政権、鎌倉幕府
恵子 頼朝によってつくられた鎌倉幕府ですが、私は「実験的」政権だったと考えています。
和人 どういうことですか。
恵子 この時代の幕府は何もかもが手探りで、現代人が想像するような形ではありませんでした。何もない「未成熟な政権」だったんです。
和人 たしかに、我々は江戸幕府という完成形を見ているので、鎌倉幕府もそのようなものだったと考えがちです。しかし、頼朝が作った政権は全てが真っ白な状態で、参考にできるのは京都の朝廷だけでした。これまでとは違う何かを作ろうとする試行錯誤の段階なんですね。そもそも、頼朝の権限が及ぶ範囲は、頼朝と個人的な主従関係を結んだ武士(御家人)の土地のみでした。主従関係にない武士もたくさんいましたし、多くの土地は皇族、貴族や寺社の支配下にあったといえます。
恵子 頼朝の前に、平清盛による武家政権はありましたが、天皇を中心とした貴族の身分制度の中に取り込まれたものでした。続いて生まれた鎌倉幕府も、朝廷を無視して新しいシステムをゼロから作ろうとはしていません。土地の支配など統治に関しては、朝廷が作ったものに乗っかったに過ぎない。では、頼朝政権と平家政権の違いは何かというと、京都との距離です。都から遠く離れた関東に本拠地を置くことで、物理的に影響力を排除しようとした。
和人 それは頼朝政権が、「俺たちは京都とは関係ない。自分たちだけでやっていこうぜ」と考える東国武士によって支持され誕生したからでしょう。上総介広常は、富士川で頼朝追討軍を蹴散らしたあと、頼朝にはっきりと「京都に上るよりも東国をしっかりと固めましょう」と進言しています。頼朝は広常の意見を取り入れるのですが、どこまで本気だったのかはわかりません。というのも、頼朝は晩年に自分の娘を後鳥羽天皇の后とする朝廷工作にのめり込むなど、京都重視の姿勢を鮮明にしているのです。
恵子 頼朝は幕府の体制をさらに整えるためには、朝廷の力を上手く利用することが必要だと考えた。一方でそれは、京都に搦めとられそうになることと同義でした。
和人 その行動が結果的に、「頼朝様は最近、京都ばかり見るようになったな」と御家人たちの不満へとつながったのでしょう。
頼朝の愛人と政子
恵子 北条氏に話を戻しましょう。幕府ができて、頼朝の妻の父である時政が重用されたかというとそうではありませんでしたね。
和人 むしろ、不遇をかこっていました。一度、朝廷との交渉役になったきりで、歴史の表舞台に登場しないのです。その時代の北条氏と頼朝に関して紹介しておきたい逸話があります。頼朝は政子の妊娠中に、鎌倉のすぐ近くの逗子に亀の前という愛人を匿っていました。その話を継母である牧の方(時政の後妻)から聞いた政子は激怒して、牧の方の父(兄とも)である牧宗親に命じて亀の前のいる館を破壊させます。これを知った頼朝は、怒りを露わにしたのですが、政子を叱るわけにはいきません。そこで館を破壊した牧宗親を呼び出して、皆の前で髻(髪の毛を束ねている部分)を切って恥辱を与え憂さを晴らします。
恵子 妻の実家、牧氏が侮辱されたことに怒った時政は鎌倉を離れ、所領の伊豆に帰ってしまいました。
和人 このとき息子の北条義時は父に従わず鎌倉に残って、頼朝の親衛隊である「家の子」の仕事を続けました。頼朝はよほど嬉しかったのか、「義時は、我が子孫を代々守ってくれるだろう」と褒めています。武士の世界では親子の関係は重いものでしたし、一族の長である時政は絶対的な存在でした。しかし、父ではなく頼朝を選んだ。実はこの時代、義時は時政の後継者とはみなされておらず、江間という別の名字を名乗っていたことも要因でしょう。義時自身にも単なる北条氏の一族という意識より、頼朝の薫陶を受けた「政治的後継者」である、という意識が強かったのではないでしょうか。
恵子 源頼朝の死後、嫡男の頼家が後を継ぎますが、父のような圧倒的なカリスマはありませんでした。
ある時、御家人たちが自分の所領を巡って争いになりました。将軍頼家は、両者の領地を記した地図の真ん中にバッと線を引いて「これを両者の土地の境とせよ」と言った。『吾妻鏡』では、頼家は両者の言い分もロクに聞かず、とんでもない裁定を下す愚かな将軍であると評価しています。しかし、決断することはリーダーの義務ですから、頼家はそれを行ったに過ぎません。この逸話のポイントは、同じことを頼朝がしたならば、誰もが納得せざるを得なかったのに、頼家にはその力がなかったことを証明しているところです。
和人 恵子さんがこの部分に注目した論文を書いたとき、ハッとさせられたのを思いだします。先代の頼朝は「逆らったら命がなくなるぞ」と家来に思わせる強面のリーダーでした。ところが頼家にはそのカリスマがなかった。もしくは、そのような力を持つ前に、御家人たちによって権力を取り上げられてしまったと考えることもできます。
鎌倉市
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source : 文藝春秋 2022年2月号