他の人のことは知らないが、私の場合の執筆の動機は、その人物の歴史上の重要度なんぞにはない。その人が言ったという一句に眼がとまり、このようなことを口にする男とはどんな人間であったのか、に興味を持ったことから始まるので、入り口は常に、学問的どころかすこぶる感覚的。
冬のある日、翌年の春に東征に発つと決めたアレクサンダーは、出陣の挨拶に旧師を訪れた。50歳に達していたアリストテレスは、今ではマケドニアの王になっているアレクサンダーの少年時代の教師であったのだ。哲学者は、かつての愛弟子が、これだけは少年の頃と変わらない情熱で遠征の計画を話すのを聴いた後で言った。
「これまでは誰一人考えたこともなかった壮大な計画であることはわかった。だが数年にしろ先に延ばすのも悪い選択ではないと思う。その間に経験も積めるし、慎重に対処する利点も学ぶであろうから」
21歳の若き王は、微笑しながら答えた。
「おっしゃるとおりでしょう。年齢を重ねれば経験も増すだろうし、慎重さも身についてくるでしょう。しかし、若いからこそ充分にある、瞬時に対応する能力は衰えてきます」
こう言って大遠征を実行するのだが、旧師の心配は当然であったのだ。ギリシア内部は決して一枚岩ではなかった。アテネは消極的。スパルタに至っては敵方のペルシア側に立っていた。財政的にも借金漬け。常識人ならば、ギリシア内をまとめるのを先行すべきと考えたろう。だが、21歳は発ってしまう。
後世の研究者たちはこのアレクサンダーを、無自覚・無謀・無鉄砲と批判する。しかし、彼ら常識には不足しない人々は、この無鉄砲な若者になぜ10年もの歳月、万を超える男たちがインドくんだりまで従いて行ったのかには答えていない。私が彼の生涯を書いたのは、それを知りたかったからであった。
ローマがまだ共和政であった時代、反乱が起きそうな事態になる。とはいえ乱は芽のうちに摘めたので当初はまだ大事には至っていなかったのだが、なにしろローマの共和政とは元老院主導の政体のこと。自分たちが的にされたので事態を重要視した元老院は大騒ぎになった。
執政官のキケロは、共謀者として逮捕されている5人の即死刑を主張する。そしてその意見のほうが大勢を占めた。ところがそれに、執政官にもなっていない30代のカエサルが反対の声をあげたのだ。その理由は、芽のうちに摘めたからにはまだ現実の反乱にはなっていないこと。ゆえに参加の意志ならばあったという人々まで即死刑に処したのでは、法治国家を任ずるローマの法に反してしまう、と。
カエサルはつづける。
「後になってどれほど悪い事例と断罪されていることでも、それが始められた動機ならば善意から発していたのであった」
「法の実施に際しては、後々までどのような影響を及ぼすかまで考慮して成されねばならない」
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source : 文藝春秋 2022年3月号