軍事、安全保障、東アジア情勢の専門家が徹底討論。
ウクライナ戦争の“2番底”
小泉 ウクライナ戦争は当初、ロシア軍が数日で首都キーウを陥落させるだろうと見られていましたが、大方の予想に反し、苦戦を強いられてきました。
その原因の一つとして、お粗末な軍事作戦が挙げられます。この戦争におけるロシアの作戦はいわゆる「外線作戦」。ロシアはどこからでもウクライナに攻め込むことができ、戦力を一点に集中することができる有利な立場にありました。逆に、ウクライナ側はどこから敵が攻めてくるか分からないため、兵力を分散せざるを得なかった。ですからロシアは相手の戦力が一番手薄なところを狙い、兵力を集中させて一気に突っ込めばよかったのです。ところが、ロシア軍は多方面からじわじわと攻め込んだため、各方面でウクライナ軍との勢力がほぼ互角になり、膠着状態に陥った。なぜロシアがこのような作戦を取ったのかは謎ですが、プーチン大統領がウクライナの抵抗力を甘く見たとしか思えません。
山下 戦争では、攻撃側は防御側の3~5倍の戦力がなければ、勝利を確実にできないと言われています。戦力を分散させてしまっては、ウクライナ軍の防衛ラインを突破できないのも当然でしょう。
ただ、ロシアは4月に方針転換しましたね。キーウ周辺など北部から軍を撤退させて、部隊を再編成した。そのうえで東部地方の制圧に目標を絞り、本格的な攻撃を展開しています。散らばっていた部隊を東部にかき集め、大きな戦力にして押し返すわけですから、今後はウクライナ側にとって難しい局面が待ち受けている。
小泉 しかも、これまでの軍事作戦は各軍管区の司令官に任せられていたのが、4月からは、ドボルニコフ上級大将が作戦全体を統括する総司令官に任命されました。報道ではウクライナ軍の健闘が強調されがちですが、本当の勝負はこれから、とみるのが正しいと思います。
山下 ウクライナは、ドニエプル川が北から南へ、キーウ、ザポリージャ、ヘルソンを通って黒海まで流れ、東西を分断する形になっています。ロシア側は今後、この大河の東側を取りに来る。ドニエプル川の東岸地域には、2014年のクリミア併合後、ウクライナ軍が対ロシア戦を想定して多くの防衛線を築いています。ロシア軍は南部のへルソン付近から北上し、これらの防衛線の「へその緒」、すなわち補給線を切ろうとするはず。そうして東岸地域のウクライナ軍を孤立させてしまえば、東部の制圧は容易になります。
小泉 ロシアは兵力を再編成させたことで「真価」を発揮してくる可能性があり、そこに西側からの軍事援助で増強されたウクライナ軍がぶつかることになる。これまでも激しい戦闘はおこなわれてきましたが、それを上回る大戦争が繰り広げられる可能性が高いですね。戦車や装甲車がぶつかりあう、文字通り古典的なガチンコの戦争です。これまでは序の口で、ウクライナ戦争の“2番底”が来るのではないかと、非常に嫌な予感がしています。
ウクライナ軍の戦車
兵器の在庫処分
山下 戦争は、裏側でいろいろなことがあります。例えば、この戦争で誰がいちばん儲かるかといったら、アメリカです。対戦車ミサイル「ジャベリン」(ロッキード・マーチン、レイセオン社製)や地対空ミサイル「スティンガー」(ジェネラル・ダイナミクス社製)など、アメリカ製兵器が威力を発揮したことが注目を集めていますが、いま使われているジャベリンは最新型ではない可能性があります。今年から米軍に納品される最新型は、冷却装置がいらないタイプで、軽く、性能も向上している。アメリカがウクライナに現行型だけを渡しているのだとすると、言い方が悪いですけど、在庫処分しているのです。
阿南 一方でロシア製兵器のブランド力が地に落ちたかのような印象を世界に与えていますが、この点についてはどうなのでしょう。ロシアから兵器を買うことで国防体制を整備している国にとっては、かなり深刻な問題になるのではないかと思っています。
山下 ロシアの最新鋭戦闘機スホーイ35が墜ちたので、エジプトあたりが「あんなに弱いならいらない」と言い始めていますね。ただ、ロシア軍も最新型の戦車や装甲車をまだ実戦に投入していません。彼らが使っている戦車も旧式です。最新兵器がNATOに渡ってしまったら、手の内を明かすことになってしまうから、「そう簡単には使わないぜ」と思っているはずです。
ウクライナ戦争は、軍事科学技術の情報戦でもあります。アメリカはこの戦争を通してロシアの兵器を観察し研究している。本音は、戦争を可能な限り引き延ばしたいはずですよ。戦争が長引けば長引くほど、ロシアは極超音速ミサイル「キンジャル(両刃の短剣)」などの最新兵器を出さざるを得なくなりますから。
日本だって他人事ではない。自衛隊はウクライナにヘルメットと防弾チョッキを送りましたが、中国はウクライナ情勢が落ち着いたら、それらを回収するでしょう。自衛隊の装備品がどれくらいの耐久性を持つのかなどを分析する。これは私も肝に銘じていることですが、戦争というのは幅広く見ないといけない。つらい目に遭っている人がいる一方で、笑っている人もいる。そして一つの戦争が世界の軍事・安全保障のあらゆる面を変えて行く可能性がある。この戦争も戦後の国際情勢に大きなインパクトを与えるはずです。
阿南 我々はこのウクライナ戦争を、より大きな視点で見る必要がありますね。例えば、ウクライナ戦争におけるロシアの行動やその結果は、「力による現状変更」を目論む国々に格好の「学習の機会」を与えています。私の研究対象は中国ですが、中国はロシアがどれだけ上手くやるか、国際社会はどういう反応をするか、当事者意識をもって見守っているはず。その意味では、日本にとって決して他人事ではありません。
対戦車ミサイル・ジャベリン
核の脅威がよみがえった
小泉 今回の戦争では、1989年の冷戦終結以来、忘れられていた「核の抑止力」が改めて注目されました。プーチンはウクライナへの侵攻開始直後、戦略(核)抑止部隊に「特別態勢」への移行を命じて核戦力の使用をちらつかせ、NATOやアメリカを封じることに成功した。
山下 バイデン大統領が今年2月、「ロシアがウクライナに侵攻した場合、米軍を派遣する考えはない」と、早々に言い切ってしまったのもまずかったと思いますね。
ただ、我々は西側にいるので忘れがちですけれど、アメリカも戦争を起こしているわけです。イラク戦争では、多国籍軍というチームを組みましたけれども、ロシアから見ると、同じように核保有国が戦争を起こした時に止められなかった経験がある。だからお互い様なのです。
古川 私は、NATOの抑止戦略の脆弱性が露呈したと考えています。冷戦以来、NATO軍はソ連陣営と後継のロシアに対し、通常戦力では優位ですが、戦術核戦力では有効な対抗手段を欠いています。ロシアに戦術核の使用で威嚇されたら、NATO軍は遥かに威力の強い戦略核の威嚇で対抗するしかない。これでは、仮にNATO軍が非同盟国のウクライナ支援のために軍事介入すれば、すぐに米ロ間の本格的な核戦争に発展しかねません。NATO側は紛争のエスカレーションを管理できないと、紛争介入に躊躇せざるを得ない。ロシアはNATO軍の紛争への直接的介入を効果的に抑止してきました。
小泉 思い起こすべきは、1999年のユーゴスラヴィア空爆です。当時はロシアが陰に陽にセルビアを擁護したわけですが、NATOはお構いなしにユーゴスラヴィアを空爆した。ロシア大統領のエリツィンは、国家安全保障会議で「なぜ誰も我々を恐れないのか」と怒り狂いました。「ロシアの核抑止が全然効いていない」と。あのときはNATOが容赦なく攻め込みました。
古川 ウクライナ侵攻ではNATOが受け身です。これは欧州諸国が抑止に真剣に取り組まなかったツケだと思います。
アメリカは助けに来るか?
小泉 ロシアの核使用の脅威はまだ去ったわけではありません。東部攻略で戦局が膠着すれば、無人地帯や黒海海上などで限定的な核使用をおこなう可能性はあります。これは「エスカレーション抑止」と呼ばれる核戦略で、90年代のロシアの国防次官ココーシンが提唱しました。敵に対して限定された規模の核攻撃をおこなうことで、自身に有利な形での戦闘の停止を図るものです。この核戦略は冷戦終結後の欧米では、画期的なものと考えられてきましたが、例えば、広島・長崎への原爆投下も似た考え方です。日本の抵抗をやめさせるのが目的で、何も広島・長崎の制圧を目指したものではない。こうしたメッセージ性を込めた核使用はまだありうると思います。
広島の原爆投下
山下 日本への影響に関して言うと、ロシアの核の脅威を前に引き下がってしまったアメリカへの信頼が揺らいでいる部分はありますね。今回のように核保有国が戦争を仕掛けてきた場合、アメリカでさえ、そう簡単に戦争に踏み込めないことがはっきりした。日本の安全保障関係者の間では、「いざという時にアメリカは助けに来てくれないのではないか」との疑念が強まっています。
小泉 これは、台湾問題にも完全に当てはまる。アメリカには、「台湾関係法」(台湾への武器提供、その安全保障に関与することを明記)があるとはいえ、正式な同盟に比べると防衛コミットメントは明らかに弱い。かといって台湾に自前で核武装させる冒険もできない。
阿南 90年代以降に台湾が民主化したのとは対照的に、大陸では共産党の独裁体制がかえって補強されたため、台湾問題はバイデン政権の「民主対専制」という国際情勢認識の文脈で論じられるようになりました。アメリカの台湾へのコミットメントも10年前には想像できなかったレベルに踏み込んでおり、抑止を強めようという姿勢は見せています。
小泉 同盟国ではない台湾が侵攻されそうになった時、どうすれば確実に抑止できるか――この問いは、日本の安全保障を考える上でも重要な問題になってくると思います。
バイデン大統領
中国の核攻撃動画
山下 このまま行くとウクライナ戦争は、「核保有国がひとたび戦争を起こすと止められない」――こういった悪しき前例を残す。そうなると次が危ない。日本の周辺には、北朝鮮、中国といった核保有国が控えていますから、彼らに対する誤ったシグナルを送りかねません。
阿南 その中国は急激なスピードで核兵器の開発を進めており、核弾頭保有数が2030年までに少なくとも1000発、現在の5倍に増えるという指摘もあります。人民解放軍は核について「先制不使用」の姿勢をとってきましたが、これが今後も維持されていくかは不透明です。
最近、私が危惧しているのは、中国の言論空間において軍人のプレゼンスが着実に高まっていること。昔は舞台裏で沈黙していた軍人たちが、最近は表に出てきてペラペラ喋るようになった。軍人だけではありません。最近では、ネット検閲が厳しい環境下でも、日本を標的とする核攻撃動画がネットに上がっています。これは一度削除されたのですが、陝西省宝鶏市党委員会がわざわざ再公開しました。動画内では、台湾問題に日本が介入すれば、「即座に日本への核攻撃に踏み切る」と恫喝めいた発言も見られます。
台湾有事になれば、かつて原爆を2度落とされた惨劇の記憶を呼び覚ますような形で、日本に対する核の恫喝を強めてくるシナリオは十分に考えられます。
イラク、リビアに続く教訓
古川 北朝鮮は、ウクライナ侵略を見て自信を深めています。自分たちが進めてきた核・ミサイル開発路線は正しかったのだと。
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source : 文藝春秋 2022年6月号