地球環境と世界戦争の危機を前に、共産主義は甦るか?
池上氏(左)と佐藤氏(右)
経済格差と世界戦争
池上 では今後、私たちはどのように左翼思想と付き合うべきか? 最後にこの点を考えてみましょう。
冒頭で佐藤さんがご指摘のように、経済格差の拡大と世界戦争の危機という現在のトレンドをみると、ふたたび左翼思想が台頭してもおかしくない時代が到来しつつあります。いや、すでにその兆候が現れている。
先ほど触れたように一つは斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』がベストセラーになったこと。もう一つは日本赤軍の重信房子が釈放された時の熱狂ぶりです。
共産党を必要としない「人新世」のマルクス主義
佐藤 池上さんは斎藤さんと対談されていますね。
池上 ええ。私はあの作品を高く評価しています。地球環境破壊を止めるには資本主義における利潤追求に歯止めをかけるべきだというのが著者の指摘で、その答えをマルクス主義に求めている。斬新な発想で、読んでいて知的興奮を味わいました。彼は、環境資源を排他的に独占し商品化するのではなく、「コモンズ(共有財)」として扱い、豊かさを取り戻すべきだと主張しています。
私が斎藤さんの思想は「コミュニズム(共産主義)」というよりも「コモンニズム」ではないかと指摘したら、彼も笑って認めていましたね。
ただ、前衛党を中心に労働者による革命を目指す従来の共産主義運動とは一線を画し、まずは身近なところから、少しずつできることをするという、ある意味で共産党を必要としない考えです。だから、彼の主張は共産党が嫌がるだろうなとも思いましたね。
斎藤幸平
佐藤 共産党も最初は斎藤さんを取り込もうとしていたはずですが、結果的にはそうはなりませんでした。ベストセラーにもかかわらず、「赤旗」では同書を一度も紹介していませんし、共産党の刊行物「経済」では、名指しではないものの、明らかに斎藤さんを批判していると分かる論文が掲載されていました。
池上 ただ、表立って叩くことはない。
佐藤 まともに斎藤さんと論戦したら、共産党は負けてしまうからでしょう。今の共産党の思想は、基本的にはマルクスではなく、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』に書いてある生産力史観に依拠しています。結局、ソ連以降の思想ですね。共産党はそこを突かれるのを死ぬほど嫌がります。だから最近は涙ぐましいことに、ソ連成立以前のエンゲルス版の『資本論』を訳し直している。要は先祖返りを試みているわけですね。
スターリン
池上 ソ連によって本来のマルクスが歪められたから、今からそれを正すというつもりなのでしょうか。
佐藤 斎藤さんはよく『資本論』を読み込んでいます。とくに非常に解釈が難しいとされる『資本論』第3巻の「利子生み資本」、つまり利子がいかに生まれるかという問題にも正面から取り組んでいる。学者や共産党による解説書でも、そのほとんどが一巻だけしか触れてないのに比べると、そこは素晴らしい。
一方で斎藤さんの理論に基づく現状分析では今後、苦労しそうな面もある。その一つは、今のウクライナ戦争をどう説明するのかという課題です。戦争ほどCO2を大量に排出して、環境に悪影響を及ぼすものはないのに、緑の党をはじめヨーロッパの環境運動は軒並み戦争推進の立場ですよね。その矛盾を前に、環境マルクス主義者たちの論はあまりに脆弱です。そこを斎藤さんがどう理論的に整理するかに注目しています。
重信房子と「よど号」のロマン主義
池上 重信については評価が難しい。1970年から、赤軍派が「山岳ベース事件」や「あさま山荘事件」、「よど号ハイジャック事件」など次々に事件を起こした頃、重信はパレスチナに渡り、赤軍派の海外基地を作ろうとします。1ドル360円の時代、まだ20代半ばの女性が、世界同時革命を起こすべく遥か遠く中東の地に渡る。学生だった私も、ニュースを見て「ハア、すげえな」と、ただ単純に感心した覚えがあります。
しかも当時出回っていた彼女の写真が恰好良かったため、「テロリストの女王」などと呼ばれ、神秘的なイメージが作られた。だから2000年に彼女が大阪で逮捕された時には、イメージとの落差に驚きましたね。
現地で日本赤軍はパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に参加し、関係者は「テルアビブ空港乱射事件」や、数々のハイジャック事件、誘拐事件に関与しました。多くの命を奪った許しがたい犯罪です。
ただ当時、中東の地で、若者が革命を追求することにロマンを感じた人が一定数いたのはたしかです。革命ロマン主義とでも呼ぶべきか。その空気が重信釈放で甦ったようにも思います。
あさま山荘事件
佐藤 2008年の若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍」でも美化していたので、“重信神話”のイメージが更新されました。ただ、彼女らの行為は、「イスラム国」のテロリストであるジハーディ・ジョンと何ら変わらない。重信釈放に熱狂する人たちは、テロリズムの危険に対する認識が弱く、そこは厳しく見る必要がある。
池上 冷静に考えれば、PFLPに参加したところで、世界同時革命など起こせるはずもないですからね。理性を重んじるはずの左翼が、逆にロマンに流される……一種の倒錯ですね。よど号ハイジャック事件の犯人グループも犯行声明の最後を「われわれは明日のジョーである」という妙な文言で締め括っている。当時でさえ「あれっ?」と思わず首を傾げました。おそらく犯人たちはマルクスもろくに読んでいなかったでしょう。
重信房子
坂口弘の深い自省
佐藤 私は、重信とは対照的な道を歩んだ坂口弘のことをもっと人々は考えるべきだと思っています。
池上 坂口は連合赤軍ナンバー3の幹部で、山岳ベース事件やあさま山荘事件などを起こし、現在も死刑囚として東京拘置所に収監されていますね。
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source : 文藝春秋 2022年8月号