「おれの本は没後も売れんだろう」。悲哀の中で彼は子を愛した。
若い人に余り知られていない
山﨑 今年は森鴎外没後100年の節目にあたります。森鴎外は、日本が近代化に向かう1800年代から1900年代にかけて大業を成した「知の巨人」であります。それは文学にとどまらず広範な知的世界を拓いたものでした。そのことが現代の、特に若い人に余り知られていないのではないかと、大いに懸念を持っているところです。
朝井 現代の読者には文体が難解に感じられるようですね。
若林 作品に加え、軍服にカイゼル髭の写真のイメージが強いからか厳格な人だと思っていましたが、意外とお茶目な一面もあるんですよね。鴎外の三男・類(るい)の生涯を描いた、朝井さんの『類』(集英社)を拝読して知ったのですが、類のことを「ボンチコ」と呼ぶんですね。
朝井 ええ、関西では「坊ちゃん」を「ボンチ」と呼ぶのを面白がり、愛称の「こ」を付けて「ボンチコ」、次女の杏奴(あんぬ)には「アンヌコ」。あの峻厳な軍服を脱ぐと、まるで異なる素顔が現れます。――パッパは親切を尽くしてくれた。没後、子どもたちにそう回想されるのが父親としての鴎外でした。
若林さんはふだん、風刺画研究をされているんですよね。今回は鴎外の「名づけ」に興味を持たれたとか。
若林 そうなんです。風刺画は集めて眺めるだけでは何を意味しているかわからないから、掲載された雑誌や時代背景を調べて、「ひょっとするとこの人物や事象を象徴しているのでは」と、ある種なぞなぞのように推理していくんです。
鴎外の子どもたちは、長男が於菟(おと)、長女・茉莉(まり)、生後まもなく亡くなりましたが、次男・不律(ふりつ)、次女・杏奴、三男・類と、どれも現代なら確実に「キラキラネーム」と呼ばれるような変わった名前ですよね。
若林氏
先覚者であり先駆者でもある
朝井 ドイツ留学中、鴎外の本名である「森林太郎」がなかなか発音してもらえなかったから西洋風の名前にしたと言われていますね。
若林 はい。しかも、それぞれの名づけの理由は於菟によるエッセイにありますが、風刺画的発想で5人の名をパズルのように組み合わせると、もう一歩踏み込んだ仮説が成り立つ気がしていまして……。ただ私は鴎外については素人も同然ですので、山﨑先生と朝井さんにご意見を伺いたいと思っています。
山﨑先生は鴎外を60年以上も研究なさっているんですよね。さきほど少しお話がありましたが、世間の鴎外への評価をどうお考えですか。
山﨑 今もそうですが、存命中から、功績を充分に理解し評価できる人は多くなかったようです。過小評価されていたとさえ言えるかもしれません。太宰治は「もの思う葦」という連載で、漱石の全集は華々しく注目されるのに、鴎外の作品はなかなか正当に評価されない。これは「涙出ずるほどくやしく」、「この夜、一睡もせず」と書いています。
山﨑氏
朝井 太宰らしい表現ですね。鴎外自身、「おれの本は没後も売れんだろう」と妻の志げに語っていたようです。生きている間も大して読まれないんだから、と。
山﨑 生き方も文学も、鴎外とは対極にあった太宰がこう書き残しているというのが興味深いですね。私自身は鴎外は日本近代文学史の中で唯一の「先覚者」であったと考えているんです。
若林 「先覚者」ですか?
山﨑 はい。彼の大きな功績の一つに、膨大な「翻訳」が挙げられます。明治20年代、ドイツから帰国したばかりの鴎外は日本の、特に文化・文学の発展の遅れに危惧を感じていました。そこで西洋の文学作品を積極的に翻訳し、日本において文学の価値を認識させることに傾注しました。長篇では、アンデルセンの「即興詩人」やシェイクスピアの「マクベス」を最初に翻訳したのも彼。鴎外は膨大な翻訳によって西洋の文化や風俗、思想を取り入れ、日本の知識人たちをいち早く啓蒙したと言えるでしょう。
朝井 私も山﨑先生に勧めていただいて、ランドの『冬の王』を読みました。素晴らしい味わいの翻訳でした。今の日本ではなかなか出逢えない文章、詩情です。
山﨑 辞書を引くと、先覚者は「人より先にそのことの必要性を知り、研究実践を行う人」とあります。対して「先駆者」は、「他人よりも先に行う人」。優れた文学作品という点では、鴎外も含め、漱石や島崎藤村、芥川龍之介、そして三島由紀夫に大江健三郎となんらかの意味で新たな文学的価値を生み出した作家たちは先駆者といえるでしょう。しかし、西洋の思想を持ち込み、日本の知識人を啓蒙したという点では鴎外の右に出るものはいない。だから彼は先覚者なのです。
とはいえ彼の文章も思想も難解だから、当時から読み手が非常に限られていた。ですから、三男・類を小説に書いてくださったことは、鴎外に再び光が当たったという意味でも大変喜ばしいことですね。
母の呟き「死なないかしら」
朝井 類さんを小説に書いてみようと思ったきっかけは、山﨑先生の『鴎外の三男坊 森類の生涯』(三一書房)でした。7、8年ほど前でしょうか、知人の紹介で先生にお目にかかったときにそのご著書と、鴎外の評伝をいただいたんです。
類さんの生涯は、鴎外の子としての幸福と不幸に満ちていました。父親である「パッパ」が世界のすべてであるような育ち方をして、でもきょうだいの中ではみそっかすで勉強も不得手。青年時代には杏奴と共にパリ留学を果たして画家を目指しますが、世に立つことはかなわず。戦後は多くの日本人同様、暮らしが困窮します。
朝井氏
撮影/冨永智子
山﨑 私は1991年に亡くなられた類さんと生前親しくさせてもらっていましたが、一緒にビールを飲んでお話しなんかしていると、こう……、憂愁感みたいな翳をいつも感じていました。大鴎外の子として生を受けながら世にほとんど知られることのなかったこの類さんの背景を知るべく、評伝を書いてみたいと思いました。
小学校の担任の先生に「クラスに頭の悪い子が2人います。1人は頭に病のある子。もう1人が類くんです」と言われた母親の志げが彼を連れて病院を回り、異常なしと診断されたあとに傍らで「死なないかしら」と呟いたという話があります。
若林 衝撃的です。志げさんの後妻という立場もあったのでしょうが……。
朝井 自分が産んだ子が世間的に“駄目な子”であってはならなかったんです。志げにとって、森一族や世間は、余人には計り知れない圧迫に感じられたのでしょう。実際、医師として身を立てた於菟や、文筆家として名を成した茉莉、杏奴と比べると、類は無名に等しい人生でした。
けれど彼の詩や随筆、小説に触れるうち、とほうもなく惹かれたんです。いくつになっても父を恋い慕う切なさ、世に出られないやるせなさ、生活の苦しさ。ただ、類の文章には、悲哀の中に上質な気韻とユーモアがあるんです。日本人離れした洒脱さが。ああ、この人をもっと知りたいと思いました。それが、私にとって『類』を書くことでした。
若林 朝井さんは昔から鴎外もお好きだったんですか?
朝井 いえ、実はもともと漱石派で(笑)。読んだ作品数も漱石のほうが多いくらい。漱石の作品は、主人公や登場人物に自分を投影しやすいですよね。だから中学生でも物語にすっと入っていけるし、歳を重ねて読めば重ねただけの景色がある。私が「小説を書こう」と一念発起したのは45歳を過ぎてからですが、文章修業のつもりで漱石作品を書き写したりしました。今も好きで、時々むしょうに読みたくなる。
若林 いつから鴎外に?
朝井 書き手になってからですね。書けば書くほど、鴎外のすごさが身に沁みます。作家仲間にも鴎外派は多いんですよ。
森鴎外
知の孤峰のごとく
山﨑 漱石と鴎外はよく作品を比較して論じられますが、たしかに昔から「鴎外は玄人好み、漱石は素人好み」と言われます。
漱石の作品には非常にドラマ性がありますから、わかりやすくて面白い。『坊っちゃん』なんかは特にそうですよね。この書き方は鴎外には真似できません。彼はどちらかというと、自分の身辺を素材に非常に無駄のない、饒舌さを排して洗練された文章を書く。
朝井 人間や社会への緻密な洞察、あの透徹ぶり。“知の孤峰”のごとくに見えます。
山﨑 鴎外の生きた時代の文学というのはまだ、江戸時代末期から続く「勧善懲悪」を主体とする未熟なものでした。ですから『舞姫』のように、西洋の文脈を取り入れ、勧善懲悪を超えた「人間そのものを凝視する視点」で書かれた彼の作品はあまり理解されなかったのでしょう。
そんなわけで若い人たちからしたら全然面白くないですよね(笑)。最近は、残念ながら学生たちの多くが鴎外研究の道に進まなくなっている。
朝井 面白いエピソードがあって、次女の杏奴が子どもの頃、父の前で『吾輩は猫である』を声に出して熱心に読むんですね。それを鴎外は柔和な微笑を浮かべながら聞いていたそうです。父亡き後、子どもたちはみな鴎外の作品に真正面から取り組むことになりますが、この頃はまだ漱石派だった(笑)。
キラキラネームに込めた野望
若林 穏やかに微笑んでいるというのがいいですね。鴎外といえば、本当に子煩悩だったとか……。
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source : 文藝春秋 2022年9月号