「トラウマ」とはもともと「傷」を意味する医学語だが、これを言い始めた古代のギリシア人は、傷を負ったときに感じた痛みを思い出してしまう精神状態、も意味すると考えていた。
民族はそれぞれのトラウマをかかえて生きている。日本人のトラウマが軍国主義の復活への怖れだとしたら、イタリア人のそれは強力なリーダー。つまりは、ファシズムの復活への怖れというわけ。冷静な思考と判断の力を失わせ、論理を飛躍させてしまう点でも似ている。今のイタリア人は、このトラウマともう一つ、持っていきようもない不安と怒りの双方からはさみ撃ちにされた状態にある。
3カ月ぶりにもどってきたイタリアは、総選挙に突入していた。政府はずっと少数派内閣でつづいてきたのだが、イタリアでは国会の解散権は首相にはなくて大統領にある。解散によるさらなる政局不安を避けたいあまりに、大統領がなだめすかすという感じでこれまで引張らせてきたからである。と言って政局不安が解消したわけでもないので、いずれは総選挙に訴えねばならない状態にはなっていたのだった。
というわけで大きなものだけでも三つが政権をめぐって争う事態になった。五つ星(チンクエ・ステッレ)と中道右派と中道左派の三勢力。これら三党派以外にも、名乗りをあげた党は70を越えている。イタリアの選挙は、主として比例で決まるのだ。
それで、今のところの世論調査の支持率の順で話を進めるならば一番手になる五つ星だが、怒れる元コメディアンに率いられた怒れる運動から始まっただけに、かかげる公約は既成システムの全面的な破壊。それも直接民主制を唱えているので排除の対象になるシステムも法も議員候補者もすべては、ネットの投票で決まる。と言っても何を誰をネット投票にかけるかを決めるのは元コメディアンのグリッロと共同創業者という感じのIT業者の二人で、しかもネットでの常時の投票者数は1万5000人前後。もしも彼らが政権をとれば、有権者5000万のイタリアの国策を決めるのが、1万5000人ということになってしまう。
これだけでも「デモクラツィア」を唱える資格はないように思うが、そう思う私などは既成観念の虜ということになって真っ先に排除されることになるのだろう。グリッロと共に五つ星の引張り役になっているIT業者は、外人記者クラブで「あなたの立場は何ですか」と質問され、次のように答えていた。「ガランテというところでしょう」
ガランテとはイタリア語で、「保証人」という意味である。借金の保証人でも、ガランテと言う。しかし、仮に「五つ星」政府が実現したとしてもその失政のツケは払わせるわけにはいかない。なにしろ元コメディアンもIT業者も選挙には打って出ていないので、つまり投票されてその地位に就くわけではないので、法律的にも責任を問うことはできないのだ。創業者ゆえの影響力の行使を彼らなりに解釈すると、「ガランテ」という形になるらしい。この五つ星の台頭くらい、政治への不信が怒りに変わるとどうなるかを示した例もないと思う。
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source : 文藝春秋 2018年03月号