昭和天皇と今上天皇

日本再生 第81回

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 皇室

 “「平成」31年で幕”の新聞の見出しを見て、そうか、平成の元号になかなかなじめなかったのに、いつのまにか、30年も使っていたのだ、と思った。やっとなじめたと思ったのにもう幕引きらしい。次の元号がどうなるかはしばらくわからない。昔は、白い雉が献上されたから「白雉(はくち)」とか、赤い鳥が献上されたから「朱鳥(しゅちょう)」とか、安易に元号を作り変えたこともあったようだが、ある時期から四書五経などに出典を求め、それなりに縁起がよい名称にするのが伝統となった。

 しばらく前に、立教大学で、シニア世代向けの新コース「セカンドステージ」が作られ、そこで自分史の書き方の講座を持った。自分史を書くに当って何より必要なのは、日本と世界の近現代史のズレを知ることだと前置きして、頭の訓練に、ペリー歴年表を作らせたことがある。ペリーの黒船来航(1853年)をペリー歴元年として、その後の日本の歴史で起きたことをペリー歴で記入していく。そうすると、誰でも知っている日本史上の諸事実を世界史の流れの上でとらえ直すことができる。明治元年はペリー歴16年。西南戦争はP歴25年。日露戦争がP歴52年。国際連盟に加入し、常任理事国となったのが、P歴68年。アッという間の世界史の中心舞台への登場であり、その後はアッという間の中心舞台からの転落だった。太平洋戦争開始はP歴89年であり、敗北と無条件降伏(大日本帝国消滅)がP歴93年。対日平和条約と国際舞台への復帰はP歴99年となる。

 最近書店に行ったら、『天皇陛下 83年のあゆみ』(宝島社)という本が早々と出ていたので買い求めてみると、今上天皇の生まれてからの歩みが詳細にわかり、面白かった。私とは7歳ほど違うが、その生涯の大略はほぼリアルタイムの歴史として頭に入っている。昭和天皇は生涯の半分を神格化された天皇としてすごさざるをえなかったが、今上天皇の場合は、12歳のときに、天皇の人間宣言(1946年)があったから、ほぼ全生涯を人間としてすごしたことになる。同時に皇太子にはヴァイニング夫人が家庭教師として付けられ、英語と欧米民主主義の思想が徹底的に叩きこまれた。今上天皇の頭の中は、明治大正あるいはそれ以前の天皇の頭の中とは相当にちがうはずだ。

 天皇の人間宣言を私は5歳で体験している。いま思うとバカバカしい話だが、あの頃友達と真剣に議論したのが、天皇はウンコをするかだった(天皇は神様だから、ウンコするはずがないという主張があったのだ)。同時に天皇は性行為をするかの議論もあって、ヒタイを寄せ合って子供らはワーワー議論した。つい昨日まで神様扱いしなければならなかったので、そういう疑問を持つ子供たちが本当にいたのだ。もちろんそういった疑問に、悪ガキがしたり顔で、アッという間に微に入り細を穿って解説してくれたので、エーッとかホントかねの感嘆符つきで疑問は次々解消されていった。

 アッという間に時間はすぎ、私が大学に入ったのは、皇太子の御成婚、ミッチー・ブームの年だった。私たちの世代は、スミぬり教科書を使わず、はじめから戦後民主主義教育を受けた世代だから、ヴァイニング夫人が皇太子に教えたことと多分ほとんど同じような内容の常識の持主になっていた。私たちの少し上の戦争世代には、戦前の記憶から天皇制そのものに強いアンチ感情を持つ人々がある程度いるが、われわれの世代はミッチー・ブームとともに、日本社会全体が天皇制に相当のシンパシーを持つことになった世代だから、アンチ天皇制感情というのは、ほぼない。私の場合、1998年から2005年にかけて「文藝春秋」に連載した「天皇と東大」(連載時は「私の東大論」)において、日本の近現代における天皇制の問題を徹底的に掘り下げた上、2006年にその総括となるような一大シンポジウム「8月15日と南原繁を語る会」を催したことによって、日本と天皇の問題をより深く考えるようになり、この制度は下手にいじるべきではないし、下手にいじると必ず失敗すると思っている。

 天皇の人間宣言が行われた昭和21年の紀元節の日、南原繁東大総長は日の丸を正門の前に掲げさせた。もはや紀元節を祝うことはアナクロな行為と考えられ、祝う人がほとんどいなくなっていたその日、南原総長は安田講堂に全学生を集め、「新日本文化の創造」と題する有名な演述を行った。つい1カ月前の天皇の人間宣言をもって、明治維新以上の国家の大革命ととらえ、これを天皇自身の人間解放、人間性の独立宣言ととらえた。これまでの天皇は「現人神天皇」として、「神様天皇」を演じなければならなかったが、いまそのコンセプトを脱して真の「人間天皇」になることができた。これは天皇によって行われた新しい「国生み」で、日本は新しい国に生まれ変った。今年は新しい日本の紀元元年。そういう日本国の生まれ変りの日として紀元節を祝うと述べた。

 日本の憲法は、世界でも稀に見る硬性憲法と言われる。法技術的に変えることがきわめて難しい、という意味だ。

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source : 文藝春秋 2018年02月号

genre : ニュース 皇室