没後30年、スターの素顔を語り尽くす

まき子 裕さんが亡くなって、あっという間に30年たちました。
慎太郎 最期の最期まで裕次郎を看取ってくれたのは、マコちゃんと金宇満ちゃんと、番頭のコマサ(2016年10月に亡くなった石原プロモーションの小林正彦・元専務)でしたね。
金宇 裕次郎さんとは『黒部の太陽』(1968年)が最初の仕事でしたけど、撮影中から一緒に酒を飲んだりして、僕は裕さんと離れられなくなりました。素晴らしい方で、ただの俳優さんじゃなかったから。
翌年の『栄光への5000キロ』はラリーのレーサーの話で、アフリカロケに行ったら、僕のホテルの部屋は最上階で、裕さんの隣なの。「隣を金宇の部屋に取っておけ」と言ってくれたらしいんです。
慎太郎 そういう男同士の縁というのはいいよな。やっぱり人を見る目があったんだな、あいつ。
まき子 以来、裕さんの映画は全部、金宇さんが撮ってくださって。テレビの『大都会』や『西部警察』もそうでしたね。
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source : 文藝春秋 2018年01月号