中国当局は劉の死を望んでいた
「〇八憲章」起草者の一人として中国民主化の青写真を示し、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波が7月13日、末期がんによる多臓器不全で亡くなった。61歳だった。
「中国は民主的な国になることができる」と信じ続けた劉。その実現を自ら目にすることはなかった。死去の時間帯、北京は突然の激しい雷雨に見舞われた。劉の名前や追悼の言葉をインターネット上から消去する当局の厳しい情報統制をかいくぐり、劉の友人たちは、中国版LINE「微信」に「天怒(天の怒り)だ」などと相次ぎ発信した。
私は、劉暁波のノーベル平和賞決定直後の本誌2010年12月号に「ノーベル平和賞 劉暁波が火をつける『第二の天安門』」と題した文章を寄稿し、最後にこう締めくくった。「劉暁波の刑期満了は2020年6月。中国共産党がその頃どうなっているかは誰も予測できない」。出所まであと3年。劉の死は、7年前には誰も予期できなかったものであり、劉の友人や中国民主化を切望する者にとって最悪の結末だった。
健診・治療に対する疑念
「国家政権転覆煽動罪」で懲役11年の判決を受け、遼寧省錦州監獄に収監されていた劉暁波は、5月31日、定期診断で異常が見つかり、6月7日、中国医科大付属第一医院(遼寧省瀋陽市)での診察で肝臓がんの全身転移が確認された。
当局の過酷な迫害から奇跡の脱出を遂げ、米中外交交渉で渡米した盲目の人権活動家、陳光誠は、劉暁波の死について、「がんが全身に転移するまで発見されないなんてあり得ません。共産党は『殺人体質』だ。私は、共産党が故意に彼を死なせたと思っている」と語る。ノーベル賞委員会も「早過ぎる死に中国政府は重大な責任を負う」と非難した。当局による健診・治療の経緯に疑念は消えない。
なぜ国内に留まったのか
海外に追いやれば人権・民主活動家の国内での影響力も弱まる。そのことを熟知した当局は4度目の投獄となる10年2月の判決確定前後、「出国」を持ち掛けた。だが、劉は断固として国内に留まることを選んだ。
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source : 文藝春秋 2017年09月号