残留元日本兵の家族を優しくねぎらわれた
天皇皇后両陛下は、羽田空港から6時間余りの空の旅ののち、2月28日午後3時過ぎ、ベトナムの首都ハノイ郊外のノイバイ空港に降り立たれた。ハノイの気温は20度、冬の東京を思えば暖かいが、思ったより涼しい。
タラップを降りられた両陛下は、ダン・ティ・ゴック・ティン国家副主席夫妻、ハノイでの接伴大臣であるダオ・ヴィエット・チュン国家主席府官房長官夫妻などの出迎えを受け、儀仗兵が立ち並ぶ中を進まれた。両陛下は、空港の貴賓室で副主席夫妻、官房長官夫妻の出迎えに感謝の意を表され、先方から改めて歓迎の言葉を受けられたあと、ハノイ市内に向かわれた。両陛下の初のベトナム御訪問の始まりである。
陛下が希望された両国への御訪問
陛下から、昨年1月のフィリピン御訪問ののち暫くして、ベトナム訪問を検討して欲しいとの御指示を頂いた。ベトナムからは、元首である国家主席が国賓として2回訪日し、党書記長などの指導者も何回となく訪日している。片やベトナムから訪問の御招待を度々受けながら、両陛下の御訪問が未だ実現していないことを気にかけておられた。
現在の日越関係は極めて緊密である。しかし、このように日越関係が進展するのは、1990年代に入ってからのことで、その道のりを簡単に説明する。太平洋戦争直後、ベトナムではフランスからの独立戦争が始まり、1954年にベトナムは独立を達成するが、南北に分裂し、やがてベトナム戦争が始まる。日本は「南ベトナム」と外交関係を持ったが、1975年4月に「南ベトナム」の首都であったサイゴン(現ホーチミン市)が陥落、1976年に南北ベトナムが統一され、我が国はハノイに大使館を開設した。
しかし、日越関係が本格的に動き出すのは、それからさらに十数年後、平成になってからのこととなる。ベトナム戦争終結に前後してカンボジアにはベトナムと対立するポルポト政権が出来て、ベトナムも関与するカンボジア紛争が始まる。1979年には中越戦争も起る。カンボジア紛争が1991年に終結し、ベトナムは国際社会に完全に参加することとなり、我が国との関係もようやく動き始める。それから二十数年間、日越関係は急速な進展を遂げて、今日に至った。
昨年の春頃から御訪問につき検討を開始した。年内の両陛下の日程は既に立て込んでおり、時期は年明け以降となる。陛下は、首都ハノイに加えベトナム中部の古都フエの訪問も希望された。気候を調べると、ハノイは2月下旬から3月初旬が春の気候、片や中部のフエでは2月末以降、雨季から乾季と移り気温が高くなってくる。さらに両陛下は、ベトナム訪問の機会に、もし許されることであればタイを訪れ、病床にあるプミポン国王陛下をお見舞いになりたいとの気持を示された。
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source : 文藝春秋 2017年06月号