私がアメリカの話をしても、「半藤は昭和史に詳しいだけだろう」と思われてしまいそうですが、実は50年以上前に訪ねて以来、何度かニューヨークやサンフランシスコに出かけたことがあります。初めてアメリカを訪れたのは、文藝春秋の編集者だった1964(昭和39)年、ちょうど前回の東京オリンピックがあった年でした。前年にケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領の時代になっていました。
そのころ、アメリカ国務省が主催して「研修旅行」という名の啓蒙活動をしていました。外国に行く機会のない日本人にアメリカのほうぼうを見せて勉強させてやろうということです。最初に私のもとに来た日程には、「ライフ」や「ニューヨークタイムズ」の編集部などが組み込まれていましたから、「アメリカのメディア文化を勉強しろ」という考えもあったのでしょう。
当時、私は34歳。編集者として日本の元軍人の話は数多く聞いていましたので、この機会に、アメリカ人にも戦争のときの話を聞こうと考えました。そこで当初のプランを断って、太平洋戦争でアメリカ海軍を率いたスプルーアンス提督や『モリソンの太平洋海戦史』を記した歴史家のサミュエル・モリソンなどに面会しました。
もちろん、戦争関係の取材をしただけではなく、アメリカの学者やメディアの人間たちとの会合にも数多く出席しました。ベトナム戦争の真っただ中で、どこに行っても「ドミノ理論」の話題で持ち切りでした。「ドミノ理論」とは、ある国が共産化すると周辺の国々がドミノ倒しのように次々と共産化されてしまうという考え方です。当時のアメリカ人は、アジアに共産国が次々と誕生することを本気で恐れていました。
若い研究者やジャーナリストは「共産化を防ぐためには、何が何でもベトナム戦争に勝たなければいけない」と異口同音に主張していました。しかし、戦争のあとフィリピン大使を務めたこともあるスプルーアンス提督は、「アジアの国はそれぞれ異なる事情があって複雑だ」と鋭い指摘をしていましたが、そういう冷静な意見はあくまで少数でした。
それにしても驚いたのは、どこへ行っても同じ議論が続くことです。私は「あなた方は、アジアのことを何もわかっていませんよ。ベトナムが共産化してもタイやマレーシアがすぐにそうなるとは限りません」とそのたびに反論したのですが、ちっとも埒が明かなかった。毎回同じ質問に私が同じ答えを繰り返すものだから、しまいに通訳がすっかり私の言い分を覚えてしまい、こっちが口を開く前に私の意見を伝えるようになってしまいました。
この時、アメリカでも、いったん流れができてしまうと、世論が一色に染まりやすいんだなと痛感しました。考えてみれば、真珠湾攻撃のあと、「リメンバー・パールハーバー」のもとに一致団結したお国柄でもある。アメリカは自由主義でなんでも言えるイメージが強いのですが、流されやすいのは日本とさほど変わらないと思ったものです。
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source : 文藝春秋 2017年04月号