二千年昔に生きたローマ人を書いていた頃よりも、さらに五百年も前に生きたギリシア人を書いている今のほうが現代の政治の動向への関心が強いのはなぜか、と考える毎日だが、それへの答えならば簡単だ。ギリシアの政治危機を見たローマ人は、それを避けるために新しい国家理念を創り出したからで、あの時期に早くもローマ人は、衆愚政とは民主政の国にしか生れない政治現象であることに気づいたのにちがいない。
と言っても今の私が相手にしなければならないのは、危機の真只中にいたギリシア人のほうなのだ。それも、彼らの歴史を物語る全三巻中の第二巻を「民主政の成熟と崩壊」と銘打った以上、民主政体の創始者で最良の実現者でもあったアテネが中心になるのも当り前。というわけで、そのアテネで民主政が機能できたのはなぜで、機能しなくなったのはなぜかを書いていったのが第二巻だが、それを書いている途中で壁に突き当ってしまったのだった。
われわれ日本人は、「デモクラシー」という言葉を簡単に口にする。「民主主義」と叫びさえすれば何ごとも解決できる、という感じだ。同様の感じで、「衆愚政」という言葉も、誰も疑いを持たずに口にしてきた。
ところが、民主政という日本語訳の原語は、古代ギリシア語の「デモクラティア」(demokratia)であるのは誰でも知っているが、衆愚政の原語も同じく古代のギリシア産の「デマゴジア」(demagogia)なのである。その「デマゴジア」の日本語訳の「衆愚政」を、日本の辞書は、「多くの愚か者によって行われた政治」としか説明していない。
となると、私のような何にでもツッコミを入れたがる人間の頭の中では赤信号が点滅し始める、ということになる。ペリクレスが卓越した政治家であったことは事実だが、彼が死んだとたんにアテネの有権者たちがバカに一変したというわけでもないでしょう、と。
しかし、ペリクレスの死を境に民主政アテネが衆愚政に突入していったのも事実なのだ。こうなると、その「なぜ」を解明しないことには書き続けられない。その「壁」を、少しにしろ越えることができたのは、イタリアの辞書のおかげだった。
――「デマゴジア」とは、「デモクラツィア」の劣化した現象。と言ってもこの両者は金貨の表と裏の関係でもあるので、デモクラシーも、引っくり返しただけでデマゴジーに転化する可能性を常に内包しているということ。
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source : 文藝春秋 2017年03月号