住友林業 山からの恩は山に返す

ニッポンの100年企業 第10回

ビジネス 企業
鉄もコンクリートも人の体温を奪うけど、木は奪わない!

「大事なのは素材をどのように使うか」

「財界総本山」と呼ばれる経団連の本部を擁する経団連会館は、1966(昭和41)年の竣工以来、東京の一等地、大手町に重厚にそびえてきた。周辺エリアの合同再開発に2007年より加わり、2009年4月に建て替えられている。

 鉄は国家なりといわれた時代からざっと半世紀の時を経て、外装には強化ガラスがふんだんに用いられ、旧館とはさま変わりした。経団連本部をはじめ、現在も日本を代表する企業が東京本社などのオフィスを構えている。エレベーターに乗って住友林業本社のフロアで降りると、無機質な外観とはまったく違い、木材の多く用いられた空間がお目見えする。心地いい木の香りが漂ってきた。

 2010年から10年間、第7代社長を務め、会長となって2年半になろうとする市川晃は、住友林業について最も深く知る1人であろう。

「子どもに訊いても、建物では、木材よりも、鉄かコンクリートが強いと答えるんですよ。しかし、大事なのは素材をどのように使うかということなんですね。阪神淡路大震災のとき、鉄筋コンクリート造の高速道路が倒れたのに、すぐそばの木造の民家が残っているという現実を目にしました。素材と技術のそれぞれのよさと違いというのは、きちんと考えられなければなりません」

 なお訊ねるうち、聞いたこともないような木材の名前が頻出する。国際事業に長く携わり、場所を問わず、険しい森林でも自ら出向いてきたという経験を感じさせた。

市川会長
 
市川晃会長

住友林業の沿革
1691年 住友家が別子銅山(愛媛県新居浜市)を開坑。銅の精錬に必要な燃料、坑道の坑木などを調達する部門が前身
1894年 荒廃した銅山周辺の森林を再生させる「大造林計画」策定
1917年 北海道・紋別を皮切りに全国で山林経営を開始
1940年 インドネシアでゴム園を経営
1948年 財閥解体により住友の林業部門分割(住友林業設立年)
1955年 四国林業と東邦林業が合併して住友林業となる
1956年 木材の輸入業務を開始
1970年 海外での製造事業を開始
1975年 木造注文住宅事業に進出
2003年 アメリカ・シアトルで海外住宅事業を開始
2007年 介護事業に進出
2009年 インドネシアで大規模植林事業開始
2011年 木質バイオマス発電事業を開始
 〃  店舗・学校など住宅以外の木造化事業を開始
2012年 国産木材の輸出を開始
2016年 ニュージーランドにて山林取得

伝わってくる木のやさしさ

 応接室で横長に5メートルはあろうかというヒノキの一枚板のテーブルを差しはさんで話を聞いていたとき、傍らの広報担当者に「いま温度が測れるか?」と笑いながら訊ねた。

 温度計がテーブルにかざされる。相応に年を重ねているらしい艶(つや)のあるヒノキにあてると、「24℃」と表示された。テーブルの真ん中に横長にくり抜くようにして収められている高級そうな御影石の部分に対しても「24℃」と示された。

 市川は、結果に満足そうに微笑み、「いいでしょうか、ちょっとここを触ってみてください」とヒノキのテーブルに促した。触れてみる。とくに温かくもなければ冷たくもないといったところであろうか。あえていうなら、木の持つやさしさが伝わる。

「冷たくないでしょう? 次にこちらを触ってみてくださいますか」

 テーブル中央の御影石のほうである。驚くほどひんやりとしていた。

「冷たいでしょう?」

 呆(ほう)けたように「はい」と頷(うなず)く。

「つまり、同じ表面温度なのに、木と違って、石は人の体温を奪うんです。鉄もコンクリートも同じで、人の熱を奪います。実験用のマウスを飼う場合でいいましても、木の箱で飼育すると、より長生きするんです」

 ソファから身を乗り出した市川は、「ただし、鉄やコンクリートが悪いということではないことをわかっていただきたい」とつづけた。

「もちろん、利便性、建設費、メンテナンス費などともかかわってきます。他方、学校を木造校舎にすると、木材が湿気を吸ったり吐いたりする調湿作用という、ほかの建材にはない特質が発揮されて、ウイルスが発生しにくい適度な湿度を保つといわれています。木のよさって、いっぱいあるんですが、これまで大きな建物においてはコスト面で後塵を拝することになってきました。木の価値を、もう一度みなさんにお伝えしたいし、とくに住まいづくりでもっと木を使っていただきたい。そのようにしていくことが実は日本の山のためにもなるんです」

 住友林業という会社が刻んできた長い歴史と、先人たちの苦労、将来像の判然としない中で、森林を年月を費やして育て、木を住まいづくりに独自に生かしてきた歩みをたどろう。その試みに際し、まずは市川晃からねんごろな示唆を与えられた。

前身は元禄時代に誕生

 三菱、三井と並び称される日本屈指の財閥グループの中でも、住友は独自の成り立ちがある。銅山から採掘された粗銅(あらどう)より銀や不純物を抽出して銅を製錬する南蛮吹きという技術を確立したところから、大坂で莫大な利益を生む事業を展開する。

 住友家第4代の当主、住友吉左衛門友芳(1670―1719)は、より大々的な銅山経営に乗り出すべく、1691(元禄4)年、幕府から、天領であった伊予国(現・愛媛県)の別子山の経営を許されて銅山開発を始める。古くさかのぼるなら、この年に住友林業の前身組織は誕生したと見ることができよう。

「当然のこととして、製錬をするには燃料となる木炭が必要になります。坑道に用いる坑木、働く人の家屋のためにも木材が必要です。したがって、山林の鉱脈の権利だけでなく、周辺の山を買ったり借りたりしながら木材の調達や管理をしなければなりませんでした」

 別子銅山は明治期以前で、国内最大の産銅量を記録した。やがて、同じ伊予にある新居浜(にいはま)に製錬拠点を移している。

 長い年月を費やすうち、山の管理を専門とする部署である山林課が住友総本店につくられた。1919(大正8)年のことである。住友にとって大きな跳躍の機となった。以後、昭和期にかけ、別子銅山は足尾銅山に次ぐ規模に成長していく。足尾銅山と聞けば、深刻な鉱毒事件などの公害をもたらしたことを多くの人が知る。別子銅山も例外ではなかった。ただし、その銅山を管理する住友の取り組みは違った。

「山から受けた恩恵はふたたび山にお返ししながら事業を継続するということがわれわれの原点であり、DNAになっています。木を伐採(ばっさい)したら、苗木を植えることを、山林課時代からしていました。深刻なのは、銅山開発を進めたことで亜硫酸ガスが発生して、煙害で山が荒れていってしまうことでした。失敗を繰り返しながら、実に長い時間をかけて、亜硫酸ガスを硫安という植物の化学肥料に処理して、最終的に亜硫酸ガスの発生をゼロにしていきました」

 この住友新居浜製錬所の煙害解決と植林などによる森の再生に陣頭指揮を執ったのが第2代住友総理事として高名な実業家、伊庭貞剛(いばていごう)(1847―1926)である。

 住友グループといえば、多くの人にとり、住友銀行(現・三井住友銀行)や住友商事、住友不動産が思い浮かべられよう。同時に、祖業とかかわりの深い「新居浜四社」と呼ばれる企業群がある。住友金属鉱山、住友化学、住友重機械工業、そして住友林業である。住友別子銅山を発展させ、さらに守り育ててきた要で、屈指の優良会社である。

画像2
 
再生された別子の山林

再生された別子の山が原点

 住友林業は、日本の国土の800分の1に相当する約4.8万ヘクタールの森林を保有する。ただし、もともと住友は山林を資産として収益化することに力点を置いていない。新居浜製錬所がそうであったように、鉱山事業によって荒れた山林の再生と保存に主眼を置いていたため、大量に木々を伐採して販売することを事業の根幹としていなかった。

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source : 文藝春秋 2022年10月号

genre : ビジネス 企業