グンゼ 祖業をやめてニッチで生きる

ニッポンの100年企業 第9回

ニュース 企業
危機感が「パンツの会社」を変えた

ニッチの商品に強み

 グンゼという会社について、これから経営の主軸を担っていくであろう幹部やキーパーソンたちに、創業の地である京都・綾部や大阪・梅田のタワービルにある本社で話を聞いて歩いた。入社時のイメージを訊ねると、「パンツの会社」、「下着のメーカー」といった非常にわかりやすい言葉が笑いとともに返ってきた。

 昨年6月に就任した第17代社長の佐口敏康は、1984年の入社で、心身、そして経験、識見ともに脂の乗った60歳である。

 父親が転勤族で、関西から関東へと移り暮らした。学生時代より、行く先々で、柔道、アメリカンフットボールと運動に熱中しながら勉学もよくした。大学卒業にあたり、就職先が決まった当時、関東地方ではグンゼの知名度がまだあまり高くなかった。兵庫の、現在の豊岡・江原の出身である明治生まれの祖母だけは、「素晴らしい会社に入ったね」とたいそう喜んだ。自らの女学校時代、グンゼの創業の地である京都・綾部で、女工ではなく「工女さん」と呼ばれて女たちの働く絹糸の生産工場と関連施設を見学したという祖母は、「あんなにすごい会社はない」と孫の門出を祝ってやまなかった。

 歴史の妙味の一つはそのようなエピソードにも表れる。絹糸に始まり、グンゼは日本を代表する会社となっていた。大きな難所を幾度も乗り越えながら、絹織物、靴下、メリヤス肌着、さらにプラスチック関連、あるいはほかの事業で生き残りを図ることができないものかと、さながら、もつれた糸を前に、互いに励まし、ときにため息ももらしながら126年の歩みを重ねてきた。

 佐口が入社して配属されたのは、プラスチック事業部である。身長181センチの堂々たる偉丈夫で、「身体だけは鍛えていましたから、過酷な営業活動でも使い減りしないと会社に判断されたのでしょう」と笑うのだが、下着とは似ても似つかない製品の事業部門で販売の最前線に立たされて、戸惑わぬはずがない。

佐口社長
 
佐口敏康社長

 絹糸に始まり、主力商品を大胆に変えてきたという組織風土がある。

 佐口は、「当社はニッチ(すき間)の商品に強みを持たせてきた歴史があるんです」と、予想外の来(こ)し方について語り、大きな体躯を揺すりながら笑った。広い領域で一気に大きな利潤を狙う丁半博打のような事業方針を採らず、グンゼならではの付加価値を高くした製品供給を、手堅く、競合の少ない分野で継続できる市場に活路を見いださんとしてきた。

 入社まもない当時の佐口の営業活動をひとことでいうなら、御用聞きスタイルである。取引のあるメーカーや工場に足を運び、何かお役に立てることはありませんか、と訊ね回るような日々であったといっていい。仮に要望を受けても、少量であったり、他社でも可能な小さな改善にとどまっていたりと、先方とグンゼに確実な収益をもたらす将来性ある新たな協業を築くことは難しい。

 佐口は、さも平然と、同時に愛嬌ある笑みをたたえて応じた。

「入社してから10年、私は売れるということをまったく経験していませんでした。ずうっと売れないというのはですね、まあ慣れてくるものなんです。それでも、へこたれずに営業をつづけて芽を探していました」

グンゼの沿革
1896年 創業者・波多野鶴吉が京都府何鹿郡〈現・京都府綾部市〉に郡是製絲株式会社を設立
1900年 パリ万博で生糸が金賞を受賞
1917年 貞明皇后(大正天皇妃)行啓
1918年 波多野鶴吉、死去
1934年 絹製のフルファッション靴下の生産開始
1946年 メリヤス肌着事業を開始
1966年 プラスチック事業部設置
1967年 社名をグンゼ株式会社に変更
1968年 ナイロン製パンティストッキングの製造販売を開始
1973年 緑化事業開始
1984年 祖業の蚕糸事業を子会社へ移管
1985年 メディカル開発室立ち上げ
1986年 生体吸収性縫合糸の開発に成功
1987年 子会社を解散して、祖業の蚕糸業から完全撤退
1988年 メディカル材料センター設置
1996年 人工皮膚の実用化に成功
2010年 メディカル事業部設置
2021年 佐口敏康氏、社長に就任

教師を辞めて実業の道へ

 グンゼの創業者である波多野鶴吉(つるきち)(1858─1918)は、丹波国何鹿(いかるが)郡延村(現・京都府綾部市)に、地元で代々、大きな庄屋を営む羽室家の次男坊に生まれた。8歳のとき、同じ何鹿郡にある母方の分家である波多野家へ養子に出される。養家の仕事に精を出しつつ、藩校にも通っていた鶴吉は、京都でも学ぶ。

 京都で7年半を過ごして1881(明治14)年に帰郷した鶴吉は、翌年、村の小学校の教師に欠員ができたことから教壇に立つことになる。

 児童に優しく、評判のいい教員となっていくが、秘かに育んでいる思いもあった。いつかは自らで事業を起こしたい、という熱情である。

 綾部と呼ばれる町では古くから養蚕業が盛んであった。だが、その多くが小作業であり、肝心の絹糸の品質もいいとはいえなかった。京都北部の名産である丹後ちりめん、同じく京都の西陣織は高い品質により古くから日本中に知れ渡っていたが、綾部の絹糸は、歴史を長く有しながら、特産とはいえぬ水準であった。綾部は四方を山林に囲まれた盆地であり、京都の中心地のように人の行き交いや盛んな商いとは縁遠い。多くを望まぬ質素倹約な土地柄もあり、どうしても閉鎖的で、発展や近代化から取り残されていた。国外への輸出など、誰も考えはしなかった。

 教え子の母親たちが「安く買いたたかれてばかりだから、もう(養蚕業を)やめたい」と涙する姿を見ていた鶴吉は、地元の名士を募って団体を組織することで、品質向上と販路拡大を図るべきであると発起した。1886年3月、教職を辞し、何鹿郡蚕糸業組合の組合長に就く。鶴吉は、養蚕業に携わる人たちの公平な発展を模索していてキリスト教に出会い、洗礼を受ける。また、二宮金次郎(尊徳)の「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」といった箴言(しんげん)に代表される報徳思想にも強く感化されていく。

創業者・波多野鶴吉
 
創業者・波多野鶴吉

「郡には郡是を」が社名の由来

 1895年、農商務省の高名な元官僚であり、貴族院議員である前田正名(まさな)が綾部へ遊説に訪れる。前田は、「国に国是を、府に府是を、県に県是を、郡に郡是を、町村には町村是を――」と説いた。日清戦争の直後の時期のことであり、国威発揚と富国強兵、外貨獲得などを念頭に置いての発言であった。この演説に感銘を受けた鶴吉は、会社設立に動いた。生家の実兄で、父に代わって当主となっていた第7代羽室嘉右衛門をはじめ、地元の有力者の協力を仰ぎ、1896年、郡是(ぐんぜ)製絲株式会社を設立するのである。初代社長には実兄の嘉右衛門が就いた。

 現社長の佐口敏康の祖母が回想したとおり、郡是製絲では女性職員たちを工女さんと呼び、工場や寮に隣接して学校を併設した。貧しさゆえに、若くして立ち仕事に従事しなければならなかった女性たちに、終業後や休日に、希望に応じて学べる場と機会を整えていった。郡是製絲の生糸は高品質かつ安定した生産を可能としてゆき、1900(明治33)年、パリで開催された万国博覧会で金賞を受賞する。郡是製絲では、設立から5年後の1901年に、実兄に代わり、創業者である波多野鶴吉が第2代の社長に就いていた。

 いよいよ世界に打って出ようというとき、地元で生糸製造の頼みとする由良川が洪水に見舞われて品質と生産が大打撃を受けたり、金融恐慌に巻き込まれたりするなど、経営は必ずしも安定しなかった。また、綾部の生糸は高品質であると評判をとればとるほど、商品相場で投機の対象となって価格が乱高下し、ひいては郡是製絲の経営を揺るがした。

 そのころ、強力な支援者が現れた。三菱、三井、住友と並ぶ財閥グループをなした安田善次郎である。

 融資を要請されていた安田は、綾部の本社を訪れた。事務室の前で、着古した木綿の着物姿で草むしりに汗を流している人物の姿が目にとまる。日に焼けた中年男は、「波多野です」と頭を下げた。安田善次郎を出迎えるために、鶴吉が手ずから出入口前の始末に精を出していたのである。安田は、波多野鶴吉と郡是製絲について評価を定めた。経営者がみな金融資本家の支援を得るべく血眼になっているときのことである。「何のご心配にも及びません。この安田が引き受けます」と鶴吉に微笑んだ。以後、経営危機の折、郡是製絲は安田銀行に救われることになる。

 波多野鶴吉は、1918(大正7)年2月、脳卒中に倒れ、長く暮らす社宅に運び込まれたが、高い鼾(いびき)をかいて昏睡状態に陥ったまま、59年の生涯を終える。鶴吉には子がなく、縁戚から林一(りんいち)を養子に迎え、将来の後継者に据えることとしていた。

グンゼ綾部本社
 
京都・綾部本社

創業者が抱いた危機感

 郡是製絲が数々の難局を乗り越えてきたのは、その場しのぎを繰り返していたからではない。鶴吉は、死の5年ほど前から、「人造絹糸(レーヨン)の進歩」に、たびたび言及していた。大正の始まりの時代から、生糸の全盛期の終わりを見越し、危機感を露わにしていたのである。実際、安価で加工の便利なレーヨンの生産高は著しく、生糸は昭和の時代に入ると価格が下がる一方であった。

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source : 文藝春秋 2022年9月号

genre : ニュース 企業