年齢40のころから日本中の居酒屋めぐりを始めた。
四方を海に囲まれ、山国でもある日本は、産物も郷土食もまことに豊かで、各地どこにもそれに合う地酒があり、幕藩制の歴史は多様な県民性、気質を作った。そのすべてが見えるのが地方の古い居酒屋だと気づいてきた。
定まった手法は地元の人が通う古い名物居酒屋を見つけること。そこで地酒を頼み、お通しで一杯やりながら、客の多くが注文している品を見つける。それは必ず安くてうまくて飽きない。知らない魚があれば店主と話すきっかけになる。そして客の会話に耳を傾ける。「旅に出て土地の居酒屋に入る」のは民俗学かもしれないと考えながら。
全国をまわるうち、居酒屋の客はみな幸福な顔をしていると思うようになった。
好きな酒を飲んでいるから当たり前かもしれないが、人の世だから失敗も、理不尽も、後悔もある。それでも少し酒がまわってくると「しかしこうして一杯飲めてるんだから、まあいい方だ」と今の自分を肯定する気持ちになってくる。これだ。
日が暮れれば、日本中どこの町もその時間が始まっていた。人は1日の終わりを幸福感で閉じたい。飲めない女性にも居酒屋好きはいて、そのわけを「みんな楽しそうなのがいい」と答えた。
そんなことを何冊もの本に書き、テレビの居酒屋探訪番組も10年以上続いているが、まことにその奥は深い。
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source : 文藝春秋 2022年10月号