地位、地域で大きく異なる〈武士〉の実像。いま学ぶべき人の育て方、選び方
「武士」とは何か。一見わかりきった問いに思えますが、これに精確に答えるのは実は難しい。そもそも「武士」は「領主」なのか「官僚」なのか。もっといえば、本当にひとくくりの集団といえるのか。これは専門家でも簡単には答えられない問題です。優れた先行研究は数多くありますが、ともすれば「近世武士」とひとまとめで論じられることが多く、地域的にも東北や九州といった地方に研究が偏っていました。
私は、二十代のほとんどを、日本列島を縦断する「古文書旅行」で費やしました。全国の城下町を訪ね歩き、全国百以上の藩士文書を調査して、見えてきたのは、江戸時代の武士たちが実に多様だったということです。
一言で「武士」といっても、大きな藩では十段階以上の格付けが存在しました。上は将軍や大名から、旗本や御家人といったいわゆる「侍」、その下が馬には乗れず徒歩で戦う「徒士(かち)」となっていました。広く取ればここまでが「士分」にあたり、さらに下の足軽、中間(ちゅうげん)などの奉公人とは、身分的に大きな隔たりがありました。当然、その格付けによって、担う役割、生活様式ばかりでなく、忠誠心やふだんの心構え、近代的に言えば、自己認識や世界観まで、すべてが大きく異なっていたのです。
さらに都市化の進んだ藩と、中世的な兵農未分化の状態を色濃く残した藩とでは、武士のありかたは大きく異なります。その研究を博士論文としてまとめたものが、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリーとして文庫化)です。学術論文ではありますが、一般の読者にも十分興味をもって読み進められる書き方を目指しました。
本稿では、その中でも、武士の人材育成、人材登用について紹介したいと思います。長い近世において、世襲の武士身分が支配層であったことは間違いありません。では、その中でいかなる人材登用、人材育成がおこなわれていたのでしょうか。
明治維新の立役者たちは、ほとんどが「下級武士」だったといわれます。では、具体的にはどのような家柄だったのか。
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source : 文藝春秋 2014年03月号