正体がわからない聖徳太子と沖田総司、東郷平八郎の作られた伝説──。ヒーローの実像に迫る
半藤 歴史史料をめぐる愉しみと苦しみというテーマで、第一線で研究をしている皆様に集まってもらいました。普段われわれが接している史料は、真贋を含めて実はわからないことだらけです。新しく出てきて定説を覆すものもあれば、真っ赤な偽物だと分かったものもある。今日はあえて時代を絞らずに、歴史を調べることと史料について思うところを話してみようじゃないか、という珍しい試みです。
まずは、古代史がご専門の倉本さんにお訊ねしたいことがあります。実は、私は大の古代史好きでしてね。文藝春秋に昭和二十八年に入社して、最初に行ったのが、坂口安吾さんのところでした。そこで大いに盛り上がったのは、大化改新の時に、蘇我蝦夷(えみし)の館が襲われて『天皇記』『国記』という歴史書が焼かれてしまったという話。安吾さんに言わせると、これが焼かれたのは、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)たちにとって都合の悪い内容が書かれていたからだというんです。つまり蘇我氏は実際には天皇の位に就任していたのではないかと。
中村 坂口安吾は小説『道鏡』や歴史エッセイの『安吾「日本史談」』などの著作で知られていますね。いわば元祖歴史探偵で、半藤さんがその後を継がれた。
倉本 『日本書紀』の記述によると、蘇我蝦夷が焼いたことになっていますね。その二書は蘇我系の皇族だった厩戸(うまやど)王(聖徳太子)が作りはじめ、蘇我一族に都合のよい歴史をまとめたものだと考えられます。二書のうち『国記』の方は、焼けた中から取り出されたことになっていますが、もちろん現存していません。今の『日本書紀』にどう利用されたのかもわかっていませんね。
半藤 そうでしたか。しかし、古代史家というのは大変じゃないですか。素人考えでは、古代日本の史料といえば『古事記』と『日本書紀』くらいで、あとは構想力で勝負していくしかないのではないか、とこう思うのですが。
倉本 いや、そうでもないですよ。奈良時代でしたら、正倉院の「正倉院文書」という膨大な史料があります。これは、三十年ほど前からやっと学問として研究されるようになりました。まだまだ、手つかずの領域も多くこれから取り組む課題の多い分野です。また、一般に記紀と称されますが、この二書はまったく性質が違うんです。
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source : 文藝春秋 2013年11月号