一年前に東京郊外に引っ越しをした。都心に出るときには、多摩川を越えていく。夏は暑く、冬は寒い。具体的なことを言うと、今の季節、気温は都心より三、四度低い。
ロードサイドには、ファミレス、ラーメン屋の巨大な看板。見ながら本当にダサっと思うが、帰って来たなあ、という妙な感慨もある。生まれた場所に近いからだ。
この場所に住む前は二十年近くS区に住んでいた。恋愛も結婚も出産も子育てもしたこの町、好きだったけれど、もういいか、という気持ちになったのは五十を過ぎた頃だっただろうか。
直前まで住んでいたのは十階の部屋で、高層マンションとは言わないまでも、設備も新しい本当に快適な部屋だった。
とはいえ、コロナが蔓延し、人に会わない生活が続くなか、この部屋にいつまでも住んでいたら、何か間違うぞ、という予感のようなものがあった。作家として何かを大きく損なってしまうのではないか、と。
私が書きたいのは、書いてきたのは、どちらかといえば、地面に近く、息も絶え絶えに生きている人たちだ。私自身がずっとそういう人であったから。あと何年、小説家という仕事ができるのかわからないけれど、残りの作品では、やっぱりそんな人たちがつかむ、かすかな希望を描きたい。
そう思っている私と、私の生活がいつの間にか乖離していることに恐怖を覚えた。どう考えてみても、人が小さく見えるような高さにいるべきじゃない。そう思い始め、引っ越しが頭に浮かんだ。
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source : 文藝春秋 2023年2月号