保守という語にはさまざまな意味がこもっている。私たちの青年期(1960年代)は、保守という語に反動とか頑迷といった語が重なり、右翼側に分けられるといった時代であった。他人から保守などとレッテルが貼られるのは、極めて不愉快であり、侮辱されているとの感もあった。
では革新と言われると嬉しいのか、となるのだが、それは社会主義を信奉しているとも言えるのであり、少なくとも保守よりは進歩的人士というイメージに浸ることができた。こうした図式は、保守と革新という語が戦後社会にあっては記号化していたことを意味する。革新という記号が知識人たろうとするときの前提であり、条件のようにさえ理解されたのである。今になって思い出せば、日本の戦後社会は言葉が暴力化していたとも言えるであろうか。
このような言葉の暴力化した時代はいつまで続いたのであろうか。やはり1990年前後のソ連を総本山とした社会主義体制が崩壊した頃までではなかったか。先駆的体制とされていたこの体制はなんのことはない、独裁体制そのものであり、基本的人権さえ無視されていた体制であることを露呈したのであった。私はソ連の体制が崩壊してから3年間ほどモスクワやハバロフスクなどに、毎年11月の革命記念日前後に定点観測風に訪れたことがある。そこで目撃したのは、これは人間社会の理想郷ではなく、むしろ国家権力一元化の非人間的社会ではなかったかの確認であった。
私の中で保守と革新のイメージはあっさりと覆った。ソ連社会は人類の革新のリーダー役などという幻想のおかしさに気がついたと言ってもよかった。私自身、革新にプラスイメージ、保守にマイナスイメージを持っていた時期はとうに終わっていたにせよ、ソ連社会の現実を確かめて、特にモスクワ市民のナマの声(例えば「我々はレーニンに70年も騙されていた」など)を聞いて、予想したよりも遥かに無残な革新の姿を理解したのであった。
日々に心構えを持つ生き方
私が保守という語を体系だてて考えてみようと思い立ったのは、革新という語を信用しなくなってからである。革新が平和とか民主主義とか自由などの語を占有していることのおかしさを自覚したと言い換えてもいいかもしれない。保守に反動とか頑迷といった語を被せるのではなく、むしろ保守リベラル派のような存在に関心を移したと言っていいかもしれない。さしあたり戦後日本の保守政治家の著作をかなり多く読んだのだが、二人の考え方に保守の本質があると考えるようになった。
その二人とは、石橋湛山と前尾繁三郎である。戦後の自民党の内部にあって、保守とは何か、その思想はどのような政治プログラムを想定しているのか、に関心を持って二人の著述に触れると納得できたのである。石橋は戦前・戦時下は言論人、戦後は政治家に転じるのだが、これは言論の限界を感じたからであった。その政治姿勢は、「小日本主義」「軍事先行に反対」「民主日本」に徹しきっている。日本の国益とは何かを求めて行くときに必要なのは、「はなはだこころ細いにせよ、我々は筆と口とで自由主義を守る以外にない」という点だと説く。それが保守の真髄だということになるのであろう。
前尾には『政の心』という著作がある。保守を徹底して学術的、歴史的に追求した書である。この中に「人間は祖先から文化の遺産を受け継ぎ、これを進展させ、子孫に引き継ぐべき運命を持ち、使命を持つ動物である」との一節がある。これが保守の本質だというのである。それゆえに保守は一日一日の革新によって、進んでいく改革だとも指摘する。一度に根本から大きく変える革命や革新とは違うともいい、地道な努力や忍耐、克己などが必要とされると説明する。保守哲学をここまで突き詰めた政治家はいない。教えられることが多々あるように思う。
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