「東條内閣」でなく「永田内閣」なら開戦はなかった?
日本陸軍史の膨大な厚みの中でも、永田鉄山ほど多くの賛辞が寄せられた人物は珍しい。いわく「陸軍の至宝」「建軍以来の頭脳」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」などである。さらに、暗殺された後には「永田がいれば太平洋戦争は起きなかった」とまで言われた。一言で表すならば、永田とは戦前の陸軍における「第一の知将」であった。
「一個人の裁量によって開戦を回避することなど本当にできたのか?」といった議論は別にしても、永田がそのような可能性を想像させるに足る存在であったことは確かであろう。しかし、その割に現在では語られることの少ない「埋もれた秘宝」である。
永田は明治17年1月14日、長野県諏訪郡上諏訪村で生まれた。一家は江戸時代から続く藩医の家系で、永田の父親である志解理は高島病院(現・諏訪赤十字病院)という公立の大病院の院長であった。
言わば「院長の令息」であった永田だが、彼が11歳の時に父・志解理が逝去。永田家の生活はその後、苦しいものへと転じていく。
尋常小学校、高等小学校を経た永田は、医学の道には進まず、東京陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校へと進学。「エリート軍人」への道を歩み出した。「早く出世して母を助けたい」というのが彼の思いであったという。
全国から優秀な若者が集まる陸軍中央幼年学校であったが、永田の成績は抜群だった。同校在学中に永田が綴った文章には、軍に対する彼の思想の根幹が滲む。
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source : 文藝春秋 2019年8月号