お雑煮のこくがあるなと夫の言う
昨年の2月1日に父・慎太郎が亡くなり、後を追うようにして母・典子が亡くなったのが3月8日でした。それからあっという間に1年が経とうとしています。密かに夫婦で俳句の句集を出そうと計画していたことは、母が亡くなったあとで初めて知りました。
母は「パピルス会」という気の置けない仲間と俳句を作る会に入っておりましたが、葬儀の際に近所にお住まいの会員の方から「由美子(旧名)さんは、いつも一生懸命に俳句を詠まれていたので、句やエッセイを掲載した会の句集を是非とも棺の中に入れてあげたい」とのご連絡をいただきました。とてもありがたいお話でしたので届けていただき、一緒に荼毘に付しました。そして父の秘書さんから「実は、先生と奥様から句集を作るつもりだと原稿をいただいて、私の方でデータ化してあります」と打ち明けられました。母の趣味が俳句であることは知っていましたが、一方で、あの父が母に付き合って夫婦で相談しながら句集を出すことを計画していたとは想像だにしませんでした。
実際にコピーアウトされた、ずらりと並ぶ俳句を眺めて見ると二人の真剣な思いを感じます。母は20年にわたって1500もの句を詠んでおりましたが、対する父の作品は全部で21句。そのアンバランスさが、いかにもうちの両親らしくて可笑しくなりました。
母は17歳で父と結婚してから、夫と4人の子供の世話や家事、父が政治の世界に出てからは選挙区回りや事務所の管理など、石原家にすべてを捧げた人生でした。そんな母の唯一の趣味が俳句です。1990年頃に、父と親しい編集者で、『スパルタ教育』、『NOと言える日本』などのベストセラー本を担当して頂いた光文社の松下厚さんから「典子さん、美味しいものを食べながら俳句を作る会があるから、一度覗いて見ない」とパピルス会に誘って頂いたのが俳句を始めたきっかけだったようです。
私はすでに実家から出ておりましたが、母に会うたびに「今日はとても良い句ができた」「句会で特選をもらい褒めてもらった」と少女のように嬉しそうに話していたのを覚えています。時には句会の俳句旅行に参加することもありました。一方、父の方は俳句については「難しい」と言っていた記憶があります。ただ、『風についての記憶』のように単行本として刊行した散文詩だけではなく、韻文の作品もパラパラとメモ書きのように残しておりました。例えば、亡くなった後に遺されたスケッチブックの中に「寂寞暗唱 月の影 我が船の炎 真白なる」という一文が殴り書きで遺されています。俳句ではないですが、詞章と言えばいいのでしょうか。いずれにしろ奔放な父にとっては五七五の型に嵌める作業が面倒臭かったのかもしれません。
父から母の俳句の感想を聞いたことはありませんでしたが、母が新しい俳句を詠むと添削をしたり相談に乗っていたようです。作家である自分の妻が熱心に俳句に取り組むことには好意的であったと思います。
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