なぜナチと手を組んだか
哲学界の巨人ハイデガーには1930年代にナチスの党員だった時期がある。このナチ問題はハイデガーの哲学に今も決定的な傷跡をのこしている。なぜなら仮に読者が彼の思考を面白いと感じても、ハイデガーは反ユダヤ主義だったのではないか、彼の哲学には悪へとつながる回路が開かれているのではないか、との疑問を払拭できず、最後まではとりこまれないぞとの警戒感が働き、完全にのめりこめないからだ。この構造はハイデガーにとって、そして読者にとっても不幸である。
それにしてもあれほどの哲学を語った人物が、なぜナチなどに加担したのか。問題はやはりここなのだが、本書はその謎に解答に近い見立てをあたえているのではないだろうか。
当然ながら彼がナチと手を組んだのは、その哲学ゆえだった。だから本書もその哲学に厳密にしたがい、彼の残した「黒ノート」とよばれる覚書を読みといてゆく。その結果、浮かんでくるのはファシズムをのりこえるためにナチと手を組んだという、ある種の逆説である。
近代がもたらしたニヒリズムは西洋哲学の必然的帰結であり、これをのりこえねばならない。これがハイデガーの問題意識だった。西洋哲学の帰結とは存在忘却であり、主体性の形而上学である。西洋哲学は事物を周辺の世界から抉出し、それ単体で対象化する。この思考の操作は、事物を計量可能な単位に還元し、素材として貶める態度につながる。こうした自然に対する態度が結果として近代国家を発生させ、資本主義、共産主義、全体主義等々の各種化け物を生みだしたというわけだ。
しかしこれは間違っている。自然の理にかなっていない。なぜなら事物は単体として存在するのではなく、他の事物との関係の網の目の中や、歴史という時間の運動のただ中にあり、そこから引き剥がすことなど不可能だからだ。存在とはそういうものだ。だから政治もこの存在の哲学に則り営まれなければならない。
こうした理想から彼は勃興するナチを利用した。自らの哲学でナチを教化し、正しい方向に導けると勘違いしたのだ。それが思い違いだとわかり、まもなく手を切ったが、意図はどうあれ、この件で彼の黒いイメージは固まってしまった。
本書からはハイデガーの真意を伝えたいという熱い思いが伝わってくる。徹底的なまでのハイデガー弁護の書であるが、それは彼の哲学を正当の位置に戻したいという専門家としての義務感の現れではないか。冒頭に記したとおり、ナチ問題に正当な評価があたえられないかぎり、彼の哲学は読む者から切断されてしまうのである。
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source : 文藝春秋 2020年8月号