同級生交歓 ラ・サール中学・高校 昭和50年卒

ライフ
 
東京都渋谷区 南之園氏自宅にて(撮影・杉山拓也)

(右から)
劇画原作・脚本家 江畑博之(来賀友志)
鹿児島赤十字病院脳神経外科部長 川添一正
国立がん研究センター理事長 中釜斉
世界石油会議日本国内委員会事務局長代理 加藤昌美
J-POWER取締役副社長執行役員 南之園弘巳

 新入学生の全員がバリカンで頭を丸刈りにされ、鹿児島ラ・サール中学の門を潜った昭和44年。校庭から松原を抜け海へと続く名物の砂浜は残念ながら埋め立てられ、産業道路に変貌してしまった頃だった。

 陸上部で活躍した中釜は7人兄弟の長男で、家事の手伝いをしながら成績はいつも超トップクラスと常に学友の憧れだった。

 小学時代からソフトボールで鳴らした南之園は皆のまとめ役。野球部ではキャッチャーを務め、その強肩で信じられない盗塁阻止率を記録していた。ショートは中郡小で長渕剛の同級生だった川添、江畑はライトを守っていた。当時吉野中学だった定岡正二と試合したのもいい思い出である。

 鹿児島弁から一生離れられないだろう加藤はやけに大人びた雰囲気のある男で、自習時間にはよく学校を抜け出しボウリングにビリヤードと青春を実に謳歌していた。

 ラ・サールは中高共に半数が県外生だが、この5人は生粋の鹿児島県人そのもの。

 中釜と南之園は当然のごとく東大へと進み、加藤はちょっと捻り京大を選んだが、「飛行機を操縦したい」と防衛大へ進学した川添が「やっぱり医者になりたい」と防大卒業後に鹿大の医学部に再入学したのには驚かされた。中高時代より遊ぶのが大好きで放浪癖のある江畑は人生でも放浪し続け、早大在学中から嘱託となった出版社を退社後、「来賀友志」の名で物書きの末席に何とかしがみ付いている。

 高校卒業30周年で江畑は彼らとの再会を果たした。30年間のそれぞれの歩みと深みで、皆はそれなりの体躯と風貌に成長していたが、少しはにかんだ笑みとキラキラした瞳は、中学校入学当時のままだった。

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source : 文藝春秋 2020年3月号

genre : ライフ