ヘルマフロディテ

日本再生 第39回

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 社会 国際 歴史

 ゴールデンウィークを利用して、スウェーデン、ストックホルムにきている。

 スウェーデンにきた直接の理由は、カロリンスカ研究所の脳科学者を取材するため。観光が目的ではないが、せっかくだからノーベル賞の常設展示があるノーベル博物館を見学してきた。

 ノーベル賞受賞者は過去に八百五十人あまりいるが、その人々の業績がすべてわかるIT利用の膨大な展示がなされていた。ひとまわりして、疲れたので、入口脇の小さなビストロ風食堂に入った。スープとサンドイッチを注文すると、どっちもたっぷりあるからどちらか片方にしろ、と食券売りの女性に忠告された。売らんかなの商売っ気がぜんぜんないのだ。食べたらなるほどしっかり中身があってうまい。パンが無料だから充分一食になる。儲けることばかり考えている資本主義国とはちがうなと思った。そういえばノーベル賞の受賞者たちがみんなで小さな木の椅子の裏側に記念にサインしていたなと思い出した。あの椅子はどこに保存されているのだろうと話をしながら、なんとなく椅子の格好が似ていたので、「まさかここにあるんじゃないだろうな」と、食堂の椅子をもちあげたら、なんと本当にそこに受賞者のサインがあった。その辺の客がつられて自分の椅子をもちあげると、どの椅子にも受賞者のサインがあった。スウェーデンは、冷戦時代から資本主義国でもなく、社会主義国でもない、独特の社会民主主義国だ。社会全体が富と労働をわかちあい、分配の平等を保っている。税金も高いが高度な社会福祉制度を実現した北欧型社会民主主義国家として有名だ。旅行者として見ると、物価は高いが、みんな朝早くから驚くほどよく働き、夕方になると一斉に働くのをやめて、生活のエンジョイに時間を切りかえている。労賃も生産性も高く、高級品は思いきり高いが、ベーシックな社会共用部分はびっくりするほど安いという豊かな生活を実現している。ノーベル博物館でのほんの小さな体験にもそれを充分に感じた。

 最近『デカルトの骨』(ラッセル・ショート著 青土社)という本を読んだ。デカルトは最晩年スウェーデンの啓蒙君主として名高いクリスティーナ女王に哲学教授として招かれた。毎日早朝(午前五時)から馬車が迎えにきて、宮殿で講義をした。その冬は極端に寒く、後に小氷期と呼ばれた歴史的寒冷期。デカルトは来る早々風邪をひいたと思ったらアッという間に肺炎になって死んでしまった。その後デカルトの頭蓋骨は行方不明になり(スウェーデンの王宮警固の下士官が盗んだらしい)、数百年間にわたって人手から人手へと転々と渡っていったという数奇な物語。実に面白い。

 そうだ、あの頃デカルトが住んでいた家があるはずと思って探しはじめたがこれが見つからない。ネットのブログに、そこに行った人が撮った写真がのっていたので、市中でそれを見せて人に聞いてもわからない。王室のインフォメーションならわかるはずと思って聞いたがわからない。係の女性が十カ所くらいに電話して、ああでもないこうでもないのあげく、観光ガイドからの情報として、港近くの旧市街にあるらしいとの情報をくれた。ダメもと(、、)と思って行ってみると、なるほどブログの写真のような古い建物が市中のど真ん中にあって、近寄ると、小さな表示板にこの家でデカルトが一六五〇年に死んだ旨の表示があった。当時そこにはフランス大使が住んでおり、デカルトはそこに身を寄せていたのだ。

 当時スウェーデンは指折りの大国で、三十年戦争の直後だった。デカルトの「我思う故に我あり」の哲学は、この戦争に従軍中だったデカルトが、ドイツの田舎村で寒さのあまり暖炉部屋にもぐりこんで仮眠している最中に考えついたとされている。スウェーデンは北の最大強国として、ヨーロッパ全土を戦乱にまきこんだ三十年戦争(新教VS旧教の宗教戦争)で連戦連勝。グスタフ王は北方の新教国の雄として尊敬されたが、一六三二年戦死した。戦死した父に代り、たった六歳で王位についたのが、クリスティーナ女王だ。男まさりの性格で男のやることは全部男以上にやり、女の子のやることはすべて大きらい。学問が大好きで、あらゆる学問に興味を持ち、一日十時間も勉強した。政治学も学んで、十六歳のときから国家の最高会議に出席した。スウェーデン語の外、ドイツ語、フランス語、イタリア語、オランダ語、デンマーク語を自由に話し、あらゆる芸術と文化に通じ、当時ヨーロッパ随一の才女とうたわれた。ヨーロッパの知識人を次々に宮廷に呼び、スウェーデンの文化水準を高めようとした。財力にまかせて招き集められた文化人には、デカルトの外、国際法の祖といわれるグロチウスがいる。手紙を交しあっていた文化人には、科学のガッサンディ、思想家のパスカルなどもいた。

 彼女は王位につくと、最大の戦勝国でありながら、ヨーロッパ全体を疲弊させた戦争をこれ以上つづけるべきではないとして戦勝国の利益を半分放棄する形でウエストファリアの講和会議をまとめあげた(グロチウスの尽力)。この講和会議を通じて今日まで遵守されている近代主権国家間の利害調整のあり方の基本原則が作りあげられた(ウエストファリア条約)。

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source : 文藝春秋 2014年7月号

genre : ニュース 社会 国際 歴史