と言っても北京に一週間、ではあったけれど。中国語版『ローマ人の物語』十五巻の出版が完了したので招待されたからだが、新刊書の販売促進には熱心でない私でも、自分の作品を誰がどのように読んだかには興味がある。それで、中国行きをOKしたというわけだが、私の見た中国人はコワモテやシタタカどころか、笑っちゃうくらいに矛盾に満ちた人たちだった。なぜなら、あの大気汚染の中で、喫煙できる場所を探すのが東京以上にむずかしかったのだから。
一日目は、空港に着いてホテルに入りホテル内のレストランで出版社の人々との夕食で終わったのだが、その間中私の頭を占めていたのは、もともとからしての曇天なのか、それとも大気汚染の結果なのか、という想いだった。そしてこの疑問は、北京滞在の最後の日までつづくことになる。滞在最後になって晴天になってびっくりしたのだが、十日も後に開催されるというAPECのために工場の操業を止めたからだそう。青空の北京を見たかったら、国際行事に合わせて行くことだと痛感した。
翌日は、正午から夜の十時まで北京大学。共同記者会見であろうと読者である大学生が相手であろうと、通訳を通しての回答には次の方法で通している。第一に、私の作品を訳した人に通訳もしてもらうこと。私の考え方に慣れた人に通訳してもらうのは、微妙な質問への回答に誤解が生じないためである。第二は、短いセンテンスで答えること。長くなったときには動詞で切ってしまう。これもまた、こちらの意を正確に伝えるための方策。
尖閣問題についての質問はなかったが、歴史認識については日を変え人を変えて何度となく質問された。こういう問題には私でも真正面から答える。即ち、歴史事実は一つでも、その事実に対する認識は複数あって当然で、歴史認識までが一本化されようものならそのほうが歴史に接する態度としては誤りであり、しかも危険である、と答えたのだった。うなずいていたから、一応にしろ納得したのかもしれない。譲れない一線は誰であろうと譲らない、いや譲ってはかえって、相手の知性を軽視することになると私は思っている。
とはいえ、この種の真剣勝負ばかりではない。翌日に行われた大型書店での読者との交流では笑いが起るほうが多かった。一例を引けば次のような具合。一人が、中国史上の人物では誰が好きか、と聞いてきた。私の答えは、曹操(そうそう)。なぜかとの問いには、セクシーだから、の一言。これにはただちに皆が笑ったから、通訳の必要はなかったのだ。以前には悪人としてしか評価されていなかったという曹操だが、今の中国の若者たちには大人気なのだそうである。
最後の山場は、中国金融博物館というところでのシンポジウム。国営企業ばかりという感じの北京で私営を誇りにしているこの博物館の理事長の王巍氏とは、こういう中国人もいてよいのかと心配になるくらいのリベラルっぽい人で、中国版『ローマ人』に推薦文を寄せてくれた人でもある。その推薦文によれば、私の書いたローマ史は「中華文明を鞭打つ原動力」になりうるものであり、その理由は古代のローマ人が実践していた、異教徒や異民族の受け入れと吸収に示された自信と寛容、正当な競争と開放の政策、自由の追求とそれを守り抜くことに示された人間性への洞察と権利の尊重にあるというのだから、非中国人の私としては、いやはやとでも言うしかないではないか。
面白かったのは、もう一人の相手方であった任志強氏である。簡単には笑わないという感じの面構えの人で、私はすぐさま「ミスター三国志」と名づけた。そのミスター三国志だが、国営企業の社長でいながらブログを通しての政府への批判も遠慮しないということで若い世代からの人気がすこぶる高く、それでいて仕事上の成果も高いので政府もめったなことでは手を出せないばかりか停年を三年も延長せざるをえなかったという人物。おかげで、書いた回想録もたちまち百万部売れちゃった、という人でもある。
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source : 文藝春秋 2015年1月号