半藤一利さんの『日本のいちばん長い日』が再映画化されたので、試写会に行ってきた。前にこの作品が東宝で映画化されたときも見ており、なかなかの作品だと思った。然しその後、『天皇と東大』を書く中で、あの終戦にいたる現実過程がどれほど複雑なものであったかをつぶさに知るようになり、あの映画にも、不満を持つようになった。さらに今回のリメイク。現場の映画制作者たちのほぼ全員が、戦争を知らない世代であることを知り、大丈夫かいなと思いつつ見た。部分部分で努力の跡は認めるものの、全体としてイマイチだった。役者にしても役所広司、山﨑努、堤真一には努力賞が与えられるが、本木雅弘の昭和天皇と松坂桃李の青年将校は疑問続出だ。
山﨑努は役作りのために、鈴木貫太郎の生家や墓のあたりを訪ね歩いたというが、実は数年前に私も歴史研究目的であのあたりをウロウロした。いまあの辺は来訪者もほとんど来ない小さなミュージアム(鈴木貫太郎記念館)になっている。このミュージアムで最大の見ものになっているのが、あの戦争を終わらせた最後の御前会議をつぶさに描いた白川一郎画伯の絵だ。あの御前会議は、近代史上、明治維新と同じくらい重要な歴史的シーンでありながら、公式には誰も記録していない。あとで出席者たちの記憶の照合をしたので、内容的にはほぼ復元されているようだが、画像的には一切記録がない。写真一枚ない。
しかし、あの御前会議の正確な画像記録が絶対にあるべしと考えた白川画伯が、戦後十七年もたってから、宮内省の協力を得て現場を精密に記録しなおした。出席者を一人一人まわって、記憶のつなぎ合わせを丹念に行なった。あの会議の席上、誰がどのような服を着て、どのようにならんだかをひとつひとつ調べあげた。その上で三〇〇号の大きな絵に仕上げていった。
そのすべてのプロセスを、「文藝春秋」一九六九年十二月号に、「『最後の御前会議』を再現する」という九ページもの手記にまとめている。この絵はネットで検索すればすぐに見ることができる。あの絵は、私は前から知っていたが、描かれたプロセスを十分に知らなかったので、画伯はちょっとした記憶のつき合わせをしただけであとは絵描きの想像力で補ったのだろうと思っていたら、とんでもない。「そこまでやったのか」と驚嘆するほかないような集団的かつ物質的記憶の再現 (絨毯の繊維の採取分析など)までやっていたのである。
この手記を読んでから、あの絵で御前会議はほとんどリアルに光線の具合まで再現されていると考えてよいのではないかと思っている。このあとできることといえば、あの御前会議が開かれた地下室全体をミュージアムとして再現公開することである。
日本という国家はあそこで完全に生まれ変ったのである。天皇制も生まれ変ったのである。明治憲法国家はある意味あそこで滅び、昭和憲法国家への移行があの御前会議の御聖断とともにはじまっている。現代日本の出発点はすべてあの御前会議での天皇の決断とともにある。
その歴史的瞬間を記念するためにも、私はあの決断がなされた皇居の地下に今もある、吹上御文庫附属室と、それに続けて玉音放送の録音がなされた宮内省政務室とを一体型のミュージアムとして完全公開すべきだと考えている。そしてそれ全体を世界遺産に申請すべきだろう。この過程を通じて世界一の「戦争国家」が世界一の「平和国家」に生まれ変ったのである。安倍首相の唱える安保法案の効用とその積極的平和主義なるものは、日本国内においても国際的にも十分な理解が得られているとはいい難いが、こちらなら国内においても、国際社会においても圧倒的な賛同が得られるだろうと思う。
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source : 文藝春秋 2015年9月号