「60年、歌の道一本でやってきた」。初めて語る“引き際の美学”
昨年にデビュー60周年を迎えましてね。北島三郎として今日まで歌い続けてこられたのは、やっぱり丈夫な体に生んで、育ててくれたお袋と親父のおかげですよ。それとデビュー当時の「なみだ船」から数々の歌を作詞作曲してくださった、星野哲郎先生と船村徹先生、このお二人が私の芸道における両親みたいなもの。心から感謝しています。
生意気なこと言うけど、「引き際の美学」が大事でね。世の中、すごいスピードでどんどん変わっていきますから。ダラダラと続けて終わるのは嫌なんだ。引き際とはケジメをつけること。紅白歌合戦を50回で引退した時も、舞台の座長公演を4578回で幕引きした時も感じたけど、これが終わりじゃなくて、新たな出発点なんですよ。「ファンの皆さんには申し訳ないな」と思う一方で、でも辞めるわけじゃなく、「俺もまた頑張るから!」と、そんな気持ちでいるんです。
「まつり」や「函館の女」など数々の名曲を歌い国民に愛されてきた演歌歌手の北島三郎さん(86)。
芸道60周年を迎え、昨年末には明治座で「ファイナルコンサート」を行い、27年続いた番組「サブちゃんと歌仲間」(BSテレ東)も、今年3月に最終回となった。さらに「北島音楽事務所」も体制を変え、北山たけしや大江裕ら4人の弟子たちの独立も発表されたことから、北島さんをめぐって「引退」や「終活」の噂が頻りに報じられるようになった。今回、北島さんに真意を聞くと同時に、60年の歌手活動を一挙に振り返ってもらった。
70の声を聞く頃から、俺も体調的に「歳をとったかな」と感じるようになってきてね。7年前に頸椎症性脊髄症を患ってからかな、ちょっとした段差にも躓いたり、物を取るにもフラッと来たりすることが増えたんです。4年前には自宅で洋服を取ろうとしたら、ズルっと滑って、そのままひっくり返っちゃった。病院の診断で、足の指を7本も骨折してるって言うので驚きましたよ。
あれだけ芝居の立ち回りで暴れて、コンサートで何十年も日本中をまわってきた。スポーツだって野球やゴルフをよくやったもんです。それだけに、いざ自分が怪我すると、どこか気も弱くなる。70代以上の方は、みんな同じ不安を抱えてるんじゃないかな。でも、そんなときは、ご先祖様や神様が、「お前はずっと走りっぱなしだったから、少しこの辺で休みなさい」と言ってくれているんだと思うようにしてますよ。
美空ひばりの葬儀で
さっきも言ったように、何もマイクを置くわけじゃない。6月5日にも、新曲「つむじ風」を発売したばかりですし、ステージだって体を労わりながら、機会があれば、また出たいと思っています。今後の活動を聞かれても、私は歌の道をとにかくひたむきに歩いてきたので、これしかできないんですよ。それは約70年前に18歳で北海道を出て、青函連絡船に乗って東京を目指した当時から、ずっと変わらない。
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