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韓国取材で出会った脱北者たちの言葉……“女性”という切り口で北朝鮮を考える

編集部日記 vol.9

ニュース 政治 国際 韓国・北朝鮮

「珍しいテーマですね。韓国ではあまりその切り口では北朝鮮を取り上げません」

 8月3日、日本とあまり変わらぬ暑さの韓国・ソウル。取材先への移動の車中で、ソウル在住ジャーナリストの朴承珉さんがこう語りました。朴さんは北朝鮮からの脱北者の知り合いも多く、小誌では韓国出張の際にしばしば通訳・コーディネートをお願いしている方でもあります。

 その朴さんが「珍しい」と表現したのは、「文藝春秋」10月号に掲載された、ノンフィクション作家・石井妙子さんが執筆した「建国75年 金正恩と女たち」という原稿のテーマについてです。

烏頭山統一展望台からは北朝鮮の「宣伝村」が見える ©文藝春秋

 石井さんはこれまで多くの女性たちの評伝を書いてきました。伝説の銀座のマダム・おそめ、芸能界を去ってからは隠遁生活を送った女優・原節子、そして東京都知事の〝女帝〟小池百合子。その石井さんに編集部が今回お願いしたのは、金正恩体制になってから、妻・李雪主、妹・金与正、娘・金ジュエなど、女性たちが表に出るようになったのはなぜなのか、彼女たちはどんな人生を歩んできたのかを探って欲しいということでした。

 では、一体何が珍しかったのでしょうか。

「韓国では北朝鮮については、核開発やミサイル発射など、政治的・軍事的な目線で取り上げることが多いですね。やはり隣国なので、現実にそこにある危機の方が注目されます。もちろん金与正とか金ジュエなどが登場したとき、新聞・テレビは取り上げますが、彼女たちが出てくる理由や背景を深掘りした記事はあまりない。金一族の女性というテーマで、詳しく取り上げた本も韓国にはありません。だから今回、どんな記事になるのか、興味深いですね」(朴さん)

 ただ、北朝鮮の国民、ましてや金一族に近い人物に直接コンタクトを取るのは非常に困難です。それに万が一、私たちの取材を受けたことがバレたら、彼らは厳罰を受けるかもしれません。そこで、かつて北朝鮮国民だった脱北者の方々に話を聞きに行ったのです。

 今回の韓国取材でお会いした脱北者の方は計5人。金正恩の遠縁にあたり、韓国で大学教授もしていた康明道さん、米ブッシュ大統領と面会したこともある「North Korea Strategy Center Republic of Korea」代表の姜哲煥さん、韓国政府内の統一部北朝鮮離脱住民後援会課長を務め、現在はメディア・YouTubeなどで活躍する金興光さん、そして北朝鮮の元外交官で現在は韓国の与党「国民の力」の議員である太永浩・呉恵善夫妻です。

YouTuberとしても活躍している金興光氏 ©文藝春秋

 皆さんに、金一族の女性たちについて知っていることを聞いて回りました。肝心のテーマについての答えは誌面をお読み頂くとして、個人的に興味深かったのが、「女性が後継者に成り得るのでしょうか?」という問いに対する答えでした。

 これまで3代にわたり男性が最高指導者となってきた北朝鮮。彼らは何人もの〝愛人〟を持ち、金日成、金正日時代は金一族に連なる女性たちといえども、表立って存在感を発揮したことはありませんでした。

 それゆえ康さんは「北朝鮮は封建的な国です。男子がいれば、女子を後継者にすることはしません」と語り、金さんも「非常に封建的な国。男以外は普通は、ありえません。男の後継者がいるのに、隠している可能性もある」とまで言っていました。

金正恩の遠縁にあたる康明道氏 ©文藝春秋

 姜さんはこう解説しました。

「金正恩はスイスの学校で学ぶなど、西側の国で教育を受けました。ただ北朝鮮は男性が優位な社会であり、それをひっくり返すことは難しい。女性をトップに据えると体制の危機を招きかねません。韓国も民主化され、社会が成熟して女性大統領が生まれました。でもアフガニスタンのような国では、女性がトップになるのは不可能でしょう」

姜哲煥氏の両親は在日だったという ©文藝春秋

 そんな中で、違う見方をしたのが、太永浩夫人の呉さんでした。今回話を伺った脱北者の中で、唯一の女性です。彼女は「抗日パルチザン」の家系で、叔父は金日成の護衛総局長などを歴任、父も人民武力部総政治局幹部部長などを経て金日成政治大学総長も務めた超エリート層出身でした。韓国で、自伝『ロンドンからやって来た平壌の女』という著書も上梓しています。

太永浩・呉恵善夫妻には今も警護が付けられている ©文藝春秋

 その呉さんは「女性がトップに就いても国民は反発しないと思います」と断言。そしてこう続けました。

「これまで3代にわたって金一族の支配が続いてきました。そして独裁はより強さを増し、北朝鮮住民の暮らしは非常に厳しいものになってきています。問題は性別ではありません。4代目まで続いた場合に、それを素直に受け入れることが出来るのかどうか。住民が従うのかどうか。それについて懐疑的に見ています」

 男性か女性か、それよりも、そもそも北朝鮮の住民が金一族の体制が続くことに従うのかどうかが問題――。当たり前のように、現体制が今後も続くと思い込んでいたので、そういう見方もあるのか、と気づかされました。また元北朝鮮のエリート層の彼女がそう見ているのはかなり現実味があるのではないか、とも。

 9月9日に建国75年を迎える北朝鮮。彼の国の動向から、今後も目が離せません。

(編集部・柳原真史)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース 政治 国際 韓国・北朝鮮