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飯島勲氏が10年の歳月を経て語った「横田めぐみさん奪還交渉」の緊張感

編集部日記 vol.10

ニュース 国際 韓国・北朝鮮

「この記録を読んでもらって、『掲載できない』と言われたら仕方がないと思っていたんだけど……」

 8月上旬、内閣官房参与の飯島勲氏は鮮やかなブルーのジャケットに身を包み、文藝春秋本社に姿を見せました。両切り煙草を燻らせながらインタビューに応じた飯島氏は、不安げな表情で語り始めました。その手に握られていたのは、A4用紙33枚に及ぶ極秘記録。これが、9月8日発売の月刊「文藝春秋」及び「文藝春秋 電子版」(9月7日公開)に掲載した「横田めぐみさん奪還交渉記録」の原本でした。

「奪還交渉記録」の原本 ©文藝春秋

 2013年5月に訪朝した飯島氏は、金正恩国防委員会第一委員長に次ぐナンバー2の金永南最高人民会議常任委員会委員長や、朝日国交正常化交渉担当大使の宋日昊氏ら、北朝鮮の最高幹部と会談を行いました。「奪還交渉記録」には、この時の交渉の内容が一言一句、克明に綴られています。飯島氏はインタビュー中、何度も「読者からの反響はあるかなあ」と呟いていましたが、これほどまで仔細に北朝鮮の最高幹部の肉声を伝えた記録は他に類を見ません。

「文藝春秋」9月8日発売号では、「交渉記録」に加えて、飯島氏のインタビュー「次なる交渉のモノサシにしてほしい」も掲載しました。当時の報道によれば、飯島氏は会談の合間を縫って、「綾羅(ルンラ)イルカ館」を訪問し、イルカショーも観覧しています。ただ、私がこれについて尋ねると、「あっ、そうそう。忘れちゃってたよ」。飯島氏の脳裏には、国益をかけた“真剣勝負”だけが強く印象に残っていたのかもしれません。

 この10年間、会談の中身が明かされることは一切ありませんでした。なぜ今、記録の公表に踏み切ったのでしょうか。詳細はインタビュー記事に譲りますが、きっかけとなったのは日朝首脳会談を目指す岸田文雄首相の発言でした。

「あの一言で血が騒いだ」――。かつて“官邸のラスプーチン”と呼ばれた飯島氏は、喜寿を迎えてもなお、鋭い眼光でそう語ったのです。

飯島勲氏 ©時事通信社

 一方で、そんな飯島氏が相好を崩したのは、私が刷り上がった雑誌を持って首相官邸の執務室を訪ねた時です。地元・長野県辰野町で行われた「ほたる祭り」のポスターをバックに座った飯島氏。〈横田めぐみさん奪還交渉記録〉と大きな見出しの載った「文藝春秋」の表紙を見て、「これは凄いねえ」と笑みをこぼしていました。

 この時、改めて当時の思い出話も明かしてくれました。2013年5月に訪朝した際、夫人に対しては、「ちょっと北京の方に行ってくるから」と告げるだけだったと言います。帰国後、訪朝を知った夫人から「北朝鮮に行くなんて言ってなかったじゃないの」とお𠮟りを受けてしまったそうです。日本と国交の無い北朝鮮では、何か不測の事態が起こっても不思議ではありませんから、心配されるのも無理はありません。夫人にすらひた隠しにしていたところに、命がけで拉致問題を解決しようとする飯島氏の覚悟を感じました。

 岸田首相は当時の外務大臣でもありましたが、この「交渉記録」の中身は知らないそうです。私は「雑誌が発売されたら、岸田首相から問い合わせがあるんじゃないですか?」と尋ねてみましたが、飯島氏は「文藝春秋のインタビューで語ったことが全てですから」と短く語るのみでした。

 今回は、40ページに及ぶ「交渉記録」と、飯島氏のインタビューを含めて合計54ページの大特集を組んでいます。ぜひご一読いただき、今後の日朝交渉の在り方を考えるきっかけにしてもらいたいと思います。

(編集部O)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース 国際 韓国・北朝鮮