3月31日(日) 16時より、鈴木おさむさんと文藝春秋総局長の新谷学によるオンライン番組を生配信します。“放送作家の最終日”となるこの日、鈴木おさむさんからどんな言葉が飛び出すのか。この“小説SMAP”第3弾を入り口に、芸能界、テレビ業界について最後に言い遺したいことに新谷が迫ります。
◆◆◆
2011年3月11日。
その日僕は、お昼1時から半蔵門のスタジオでパーソナリティーを務めるラジオ番組の生放送をしていた。
有名な歴史作家がゲストで登場し「日本の歴史はその時々にトップに立つ者が都合よく塗り替えている」と熱く語っていた。「こんな国は一回、色々なものがなくなってフラットにならなきゃいけないんだよ」と言い出したところで、僕は「この人、変なスイッチが入りだしたな」と、トークを止めて、歴史作家のゲストコーナーを終わりにした。
時折、ゲストの人が想定外のことを話し出すのはよくあることだったが、この歴史作家の人が最後に言った言葉がなんだか胸の奥に引っかかっていた。
番組は2時台に入り、かねてから親交のあった俳優さんがゲストに来てくれて話した。1時台の歴史作家とのトークにずっと緊張感があったので、馴染みの俳優さんとは安心して話すことが出来た。
俳優さんが帰って、2時半を過ぎたのに、まだ、歴史作家が言った言葉が引っかかり、心がなんかざわざわしていた。
2時40分を過ぎて交通情報が終わり、曲をかけた。
曲が終わり、リスナーからもらったメッセージを紹介し始めた。その時だった。
2時46分。
スタジオがグラッと揺れた。揺れが続き「地震だ」と気づく。この日以前にも何度か放送中の地震は経験していた。毎回小さな揺れでおさまっていたので、どうせ今回もすぐにおさまると思い込み「あ、地震が来ましたよ」と落ち着いて言った。
だが、いつもならおさまるところでおさまらず、揺れはさらに激しくなり、パートナーの女性アナウンサーが「みなさん、落ち着いてください」と口調が強まるのと同時に、さらに揺れが激しくなった。揺れは自分の経験値をはるかに超えたことが分かった。
だけど、生放送中だ。
「結構揺れてます」
感じたことを短い言葉にするのが精一杯だった僕にアナウンサーが言った。
「オサムさん、我々も机の下に隠れましょう」
災害時の様々なパターンを想定してトレーニングを受けているはずのアナウンサーが「机に隠れましょう」と言った。そう言わなきゃいけないほどのことなんだとすぐに認識した瞬間、マイクで話すことをやめて机の下に隠れた。
隠れながら「皇居の目の前にあるビルだから大丈夫」と思うようにしたが、激しく揺れるとともに、ビルがきしむ音が聞こえる。
放送は突然、緊急放送に変わった。
この揺れはいつまで続くのだろう? 永遠に終わらないんじゃないか。
ただ願うしかなかった。
揺れが徐々に落ち着いてきた。
「大丈夫ですか?」
スタッフがスタジオに入ってきてくれた。
放送は緊急放送のままで「もしかしたらすぐに放送に戻るかもしれないので」と言われて、近くの控室で待っていることになった。
地震がどれだけのものだったのかは理解できてない。
控室からはスタジオの前にある報道部が見える。そこにはテレビモニターが何個も並んでいた。
今、起きた地震がとてつもなく巨大な地震であることが分かってきた。
テレビモニター全部が東北地方の沿岸の映像になる。
津波警報が発令された。
僕自身も千葉県南房総市の実家から歩いて3分のところに海があるが、津波の怖さを理解出来てなかった。
全てのモニターに津波が近づいている映像が映し出されている。
自分が人生で経験したことのないことが次々に起きてるのだけは分かった。
結局、ラジオ番組が元に戻ることはなく、報道特番に切り替わった。
「今日は帰っていいです」
そう言われてタクシーを呼ぼうとしたが、捕まらない。
道で捕まえるしかないかと、1人でTOKYO FMを出て、国道246号のほうに向かっていったが、タクシーを捕まえることは出来なかった。
246の自分が歩いている道と反対側の歩道にも、大量の人がぞろぞろ歩いていた。電車も動かずタクシーも捕まらない。みんな、帰宅困難となり、歩いて帰っているのだと気づく。
普段決して見ることのない光景。自分の目に映っているのは、アメリカのゾンビ映画で見たことのあるような、でもリアル。
携帯もまったく通じなくなった。
一体、どうなっているんだ? こみあげてくる不安を抑えると、僕の後ろを歩いていた男性が声をあげた。
「え? 死亡者が1人確認されたってよ」
死者が出るほどの地震だったんだと思った。
さっき番組に出演した歴史作家の言葉が蘇ったが、まさかこの地震が2万2000人以上の死者・行方不明者を出す地震になるとは夢にも思ってない。
1時間ほど246を歩いていると、人はどんどん増えてきた。街を歩く人たちの会話で、地震の被害が徐々に大きくなっていることが分かってきた。
ズボンのポケットに入れていた携帯が揺れた。
携帯が通じ始めたのだ。まず、ショートメールだけが届いた。
とある番組のプロデューサーが自分の番組スタッフ全員に安否確認メールを送っていた。
テレビ局にいたら最新の情報は入るはずだ。そのプロデューサーが全員にこんなメールを送らなきゃいけないほど事態は深刻化しているのかと思う。
とにかく、まずは家に帰ろう。その日、夕方から会議があったが、交通手段のない中、会議なんか出来るはずがない。そう思った瞬間、六本木のテレビ局のADからショートメールが届いた。
――このあとの構成会議は3階A会議室です――
思わずカッとなり。
――外に出たか? 今、街の状況、分かってるか? バラエティーの会議できるわけねえだろ――
そう送ってしまった。
ADは上から言われたので仕方なく送ったのだろうが、自分の不安とイコールでないことにイラッとしてしまう。
不気味な不安が頭の中をどんどん過(よぎ)ってくる中、1時間半経ってようやく家に着いた。
妻は番組ロケで海外に行っていた。
誰もいない家の中を見ていると、棚に置いてあった物が地震でかなり落ちている。
テレビをつけて片付けると、いよいよ、この地震が、とてつもなくでかい地震であることが分かってきた。
津波が襲ってきた。
日本を飲み込んでいた。
この地震は、東日本大震災と名付けられ、原子力発電所が爆発し、日本中をどん底に突き落とす。
バラエティー番組もドラマも全部報道番組に差し替わっている。テレビに映し出される、津波が日本を飲み込んでいく映像。
かつて経験したことのない未曾有(みぞう)の大災害の被害にあっていることが分かる。
仕事で海外にいる妻から心配の電話が来た。外国のニュースで流れた日本の映像がとてもショッキングで、津波や火災の映像を見て、「日本が壊れていっちゃう」と思ったと泣きそうになっていた。
まさに日本が壊れていっているのだと自分でも思った。
でも「大丈夫だよ」と言うしかない。妻はこのまま日本に戻ってこない方がいいんじゃないかとさえ思ったが、その言葉は言えなかった。
妻との電話を終えると、春田から電話が来た。
いつまで報道番組のままなのか? 分からないと言う。月曜日の放送もどうなるか分からないと。
時間とともに増えていく被害者。想像をどんどん越えていく。
時間が経つに連れて被害状況の甚大さに打ちのめされていく。
そして……。
福島第一原発のニュースが入る。
地震だけではなかった。原子力発電所の事故。
映画以外でこんなニュースを聞くとは思わなかった。絶対ないって思っていた。
テレビに映し出されたそれは、爆発し煙を上げていた。
日本人が経験したことのない史上最悪の事故。
この事故が起きても、どういう事故なのか? このあと、どうなるのか? 被害状況などは明らかにされず、SNSでは様々な噂が日本中を飛び回った。
それを見て、思った。
「逃げなきゃいけないんじゃないか」
土曜日、
日曜日、
月曜日、
テレビにバラエティーが戻ることはなく、繰り返し流れる津波の映像で嫌になる。
破壊された日本の様と尋常じゃなく増えていく被害者の数。
福島第一原発では事故が収まる様子がない。そして何が起きているのかが明かされない。
放射能が日本に放出されていくんじゃないかというかつて感じたことのない不安と恐怖。
もうバラエティーなんか二度と放送されなくなるんじゃないか?
それどころか、東京に、いや、日本に住めなくなるんじゃないか?
滅多に電話の来ない知人から電話が来た。
「オサムさん、東京にいますか?」
原発の爆発により、放射能に汚染されるという噂が一気に広まり、僕がどうしているのか知りたかったのだろう。
「東京から逃げますか?」
と聞かれたが、やっぱりそう考える人が増えているのだという現実を感じた。でも、「逃げないよ」と強がる自分がいた。
「本当に大丈夫ですかね?」
そう言われても、果たして噂なのか事実なのかは、誰にも分からない。
春田から電話が来た。この日の放送はなくなり、水曜日と木曜日の収録もなくなったという連絡だった。
こんな中、夜、舞台の稽古に行った。週末に上演される予定の舞台だった。
出演者も全員集まっている。主催の責任者に言われた。
「とりあえず本日の稽古はやらせてください」
やるしかないと台本を開いたが、スタッフがいつもより減っていることに気づく。
1人のスタッフは家族と共に福岡に避難すると言われた。
「オサムさんに申し訳ないと伝えてください。家族のためです」
それを聞いて、やはり今の日本はそれほどの事態なんだと痛感する。
主催者は週末に上演をしたいと言うので、とりあえず稽古を行った。
だが揺れた。かなり強い余震だった。
揺れる度に稽古を止めて、扉を開ける。
出演者も不安な顔色を隠せなくなった。
主催者が稽古の途中に割って入ってきて言った。
「様々な状況を踏まえて、上演を中止にいたします」
もう無理だ。
日本にエンターテインメントは戻ってこない……。
妻が日本に帰ってきた。
「もうバラエティーは出来ないかもしれない。テレビどころじゃないかもしれない」
妻に言った。
つまりそれは妻の仕事も僕の仕事も成立しないということだ。
本当にそう思った。
日本のテレビを見て被害を知った妻が、僕の言葉を否定することはなかった。
SNSで日本の芸能人・著名人が続々関西の方に逃げているという情報が目に付いた。
誰がどこにいるという目撃情報が入ってきていた。
大阪や福岡、沖縄。
テレビの収録もない。身の安全のため、東京を離れていると。
やっぱり少なくとも東京にはもう住めないのかもしれない。
ごまかしていた自分の気持ちにごまかしがきかなくなった。
テレビ番組の会議もすべてがなくなっていた。放送がないし収録もない。
自分もこのまま東京にいないほうがいいのかもしれない。
我慢出来なくなった。
ネットを開くと、飛行機も新幹線のチケットもだいぶ埋まっていたが、ギリギリ翌日の沖縄行きのチケットが2名分残っていた。
そのチケットを予約した。
罪悪感はあった。だけど、感じたことのない不安と恐怖で押し潰されそうになっていたから。
ずっと自分をごまかしていたからこそ、一気に吹き出した。
予約を完了したあとに、春田から電話があった。
電話に出ると春田は言った。
「来週の月曜日にイイジマサンが生放送をやりたいって言ってます。今晩、みんなで会えますか?」
生放送?
こんな状況で?
信じられなかった。
夜、会議室に集まった。僕と黒林さん、春田に野口、イイジマサン。
イイジマサンも大分疲れた顔をしていた。そこで言った。
「こんな時だからこそ来週の月曜日、生放送をやりたい」
SNSでは有名人がさらに東京を離れているという話が流れている。大阪のホテルに泊まっている人の名前などが僕にもイイジマサンの耳にも入ってきていた。
東京を離れて逃げることは悪いことじゃない。安全を考えどんな行動を取るかは自分次第なのだから。
だけどイイジマサンは「自分が住んでいるところを離れられない人が沢山いて、みんな不安になっている。だからこそ、来週の月曜日、生放送をしたいんだ」と思いを語った。
彼ら5人が東京から生放送をすれば、それだけで安心する人が沢山いるはずだと。
イイジマサンの覚悟は決まっていた。
自分たちがこの仕事をしている意味。
「私たちに出来ることはそれしかないと思う」
イイジマサンの思いを受けて、黒林さんが会社に働きかけた。
テレビではちょっとずつバラエティー番組は放送され始めていたが、常にL字の画面で震災の情報が入り続けている。何日も繰り返し流され続ける津波の映像で心を病んでしまった人もいたからこそ、バラエティーが流れることで安心する人もいる。
だが、バラエティーが放送されることをけしからんと否定する人も沢山いた。
そして、ゴールデン・プライム帯で生放送をしているバラエティー番組などなかった。
実行するには沢山のリスクがあった。
放送中にまた地震が来るかもしれない。
原発の新たなニュースが入るかもしれない。
生放送でメンバーがうかつなことを喋ったら、それで大きな批判を買う可能性が高い。
局側からしてもリスクも大きいし、諸手(もろて)をあげて「是非やりましょう」とはならなかっただろう。だが、イイジマサンの熱い思いを黒林さんたちが伝えて、生放送を行うことになった。
未曾有の大震災の10日後。
2011年3月21日の22時から。
そんなこと、他に誰もやろうとしない。
やりたくない。
だからやらなきゃいけない。
彼ら5人は。
翌日から連日会議を行うことになった。
でも、その日、僕は沖縄行きの飛行機のチケットを取っていた。妻の分と2名分。妻には飛行機を予約したことは言ってなかった。
取れたチケットの出発時刻はその日の夜。イイジマサンたちと会議をする時間だった。
ネットを開くと、原発の事故による放射能の噂がさらに恐怖を煽(あお)る。
これは噂じゃないんじゃないかと。
本当にそうなっていくんじゃないかと。
だから沖縄に行こうと思った。
イイジマサンや黒林さん、春田と野口には申し訳ないと思ったけど。
逃げようと思った。
東京から。
会議時間と飛行機の時間が近づいてくる。
もう決めなければいけない。
僕は妻に言った。
「実は沖縄行きのチケット、取ってあるんだ」
「そうなの?」
妻は驚く。
「沖縄に逃げようと思うんだけど、どう思う?」
「いいと思うよ」
賛成してくれた妻の言葉で楽になれた。でも。
「やるんでしょ? 生放送」
「うん」
「みんな、会議で待ってるよ。行かなかったら寂しいよ」
僕なんか逃げたってきっと番組は作れると思っている自分がいた。
でも、行かなかったらきっと寂しい。
ずっと一緒にやってきたからこそ。
妻の言葉で、ネットを開いて、飛行機をキャンセルした。
もうやるしかない。
今、自分に出来ることは番組を作ること。
会議に行った。みんな不安。みんな怖い。でも、こうやって集まっている。
みんなで話しあって、生放送の日のテーマを決めた。
「いま僕たちに何ができるだろう」
イイジマサンは、5人で話し合って、何が出来るのかを考えるところから始めたいと言った。
それでいい。
ただ話すだけになるかもしれないけど、それでいいのだと。
彼らに何が出来るのかを、報道番組のようではなくあくまでもバラエティーとして前向きに話すことで、それを見た人が考える番組にしたいのだと。生放送で。
普通のマネージャーだったら、嫌がるはずだ。
この状態でタレントが生放送に出て行き間違った発言をしたらタレント生命に大きな傷が付く。
喋っていいことといけないことの境界線が決まってないからこそ、生放送で自分の言葉で喋ることにはリスクしかない。
だけどイイジマサンは言う。
「間違っていいんだよ」
間違ったらそこで謝ればいいし、間違いを恐れてたら何も話せない、何も出来ない。このままだとエンターテインメントが戻らない。
その覚悟があった。
会議をしているときにも、大きな余震が来た。
スタッフが叫び声をあげるほどの余震もあった。
余震が来る度にみんな「放送中、これ以上の地震が来たらどうしよう」と思うが、そこも含めて放送するしかないのだと決めた。
彼ら5人のそのまんまを見せる。
国民的スターと言われる彼らだって地震にあって不安になる。その中で生放送を行い、言葉を選ぶ。何が正解なのかが分からないまま話す。
だけど、それを見せて伝えることで、きっと世の中は安心する。
みんな不安なんだ。怖いんだ。
だからこそ、みんなで一緒に考える。
今、自分たちに何が出来るのか?
僕は会議に参加しながら、沖縄行きのチケットを取っていたこと、仕事を放棄しようとしたことへの罪悪感がずっと胸の奥にあった。そのことは言えなかったが、不安なのはきっと僕だけじゃないと思った。黒林さんだって春田だって野口だって家族がいる。子供もいる。みんな、きっと大きな不安を隠しながら、向き合っているはずだ。
でも。どこかに逃げて安心しているよりも、この状況の中で、こうやってエンターテインメントを作れていることの方がきっと幸せだと言える日を信じた。
この放送を見てくれた人が、不安と恐怖を少しでも期待と希望に変えることが出来るのかもしれないと思いながら会議を終えて家に帰った。
そして寝ている妻の顔を見て感謝した。
3月21日 生放送当日。
昼過ぎに、リーダーが、タクヤが、ゴロウチャンが、ツヨシが、シンゴがお台場のテレビ局にやってきた。
3月11日以降、みんなと会ったのは初めてだった。
いつものように軽く笑顔で挨拶をすることはない。みんなそれぞれが覚悟を持ってやってきたことが分かった。
まずは会議室にメンバーとスタッフ全員が集まり、今日の構成を話す。
全員一言ずつ話してから、一曲歌い、曲が終わったあとは、街頭でインタビューした映像と募集したファックスを読みながら話していくと。
そして最後に2曲歌う。
番組は、歌以外のコーナーは彼らのトークに頼る部分が多い構成だった。VTRをもっと延ばすことも出来たが、それよりも彼らが今の思いを話すことが大事だ。彼らのリスクは増えるが、そこを信じないといけなかった。
構成の説明をしたあとに報道部の人がやってきて、今の被害状況と、そして、言ってはいけないこと、言うべきではないことをレクチャーする。ネットでは噂が絶えない中で、テレビとして中途半端なことを言うことで視聴者がより不安になる。そのレクチャーが果たして本当に正解なのか分からないが、局としてもその生放送をやることに大きなリスクがあるわけだ。だからレクチャーをすることが条件だった。
僕はそのレクチャーを聴いていて、「これを言われると、生放送で話せなくなるんじゃないか」と思った。
だけど、そこも踏まえて彼ら5人はやるしかないのだ。
どんな一流の芸人さんでもタレントさんでも、この生放送を行うことはリスクとの隣り合わせ。だけど、イイジマサンはやると決めた。彼ら5人もまた、やると決めたのだ。
生放送が始まる前に、タクヤが僕に言った。
「オサムは何を信じてる?」
色々な噂が流れる中、何を信じてどう行動してるのか? と聞きたかったのだろう。僕は答えることが出来なかった。
タクヤが去ったあとも考える。僕は何を信じてるか? 1つあるとしたら、自分は今、ここにいて、この番組に参加すると決めた自分を信じているということ。
みんなもそうなんだろう。自分を信じて、ここに集まっている。
22時が近づいてくる、スタジオの緊張感が高まってきた。
彼ら5人がスタジオにやってきた。
リーダーが真ん中に立ち、その両隣にツヨシとゴロウチャン。端にタクヤとシンゴ。
5人が立ち並ぶ。
笑顔はなく、顔が強ばる。
きっとみんなが一番怖い。
東日本大震災から10日しか経ってない中で。
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source : 文藝春秋 2024年4月号