「高齢も末期を迎えると大半の高齢者に認知症と同じような症状が現れてくる。実態として認知機能の衰えと認知症に大きな違いはない――」
多くの介護施設関係者が口を揃えてこう証言するように、認知機能の衰えも含めた認知症は、一定の割合の高齢者どころか、ほぼすべての高齢者にとって、不可避的で治しようのない老化病という側面がある。ならば、この老化病にどう向き合えばいいのか。
当然、認知症にかかりにくくするための予防策、あるいは認知症の進行を遅らせるための治療法、さらには認知症そのものを治すための最新の研究や医療などへの人々の期待は大きく関心も高い。私もそれらの取り組みを否定するつもりはないが、現時点ではいずれの分野においても目を見張る決定打は存在せず、私も含めて多くの人々が期待と現実の狭間で立ちすくんでいるのだ。
だが、膠着状態は必ずしも手詰まりを意味せず、考え方を変えれば風景は一変する。実は、そこで浮上してくるのが「認知症とは戦わない」とする発想の転換だ。つまり、認知症を忌まわしい病として敵視するのではなく、ごく自然な老化病としてこれを受け入れた上で、本人も家族も納得できる安らかな最期を迎えるための、現実的かつ具体的な方法を探るべきではないのか、という逆方向からのアプローチである。
実は、私にも認知症で特別養護老人ホームに入所している88歳の母がいる。認知症になっても安らかな最期を迎えるためのアプローチを探る叩き台として、まずは認知症の母を巡るスッタモンダを含めた私の切実な経験から述べてみたい。
母の介護は刻苦の日々
私が母の異変に気づいたのは10年前のことである。当時、私は月に1度、実家にいる母を車に乗せて小旅行に連れ出していた。私にとってのささやかな親孝行には家内も同行していたが、そんなある日、車の後部座席にいた母が「私、お財布を持ってきたかしら」と呟いては、手元のポシェットの中を何度も確かめ始めたのである。振り返れば、これが後にアルツハイマー型と正式診断される認知症の始まりだった。
その後、母の異変は次第に深刻化していき、3年後には同じ食材を買い重ねてはスーパーの袋に入れたまま玄関などに放置するといった問題行動も目立ってきた。加えて、今から7年前のこの年、進行した大腸がんが見つかった私が切除手術を受けたのに続き、末期の膀胱がんが見つかった父が他界するというアクシデントも発生。この間、母の混乱にはさらに拍車がかかり、冷蔵庫にあった腐りかけの食材を調理して食べてしまった母が病院に担ぎ込まれるという騒動にも何度か見舞われた。
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source : 文藝春秋 2019年7月号