昭和前期に人気を博した『鞍馬天狗』シリーズをはじめ、数々の名作を残した作家、大佛次郎(1897〜1973)。未完の大作『天皇の世紀』の執筆をサポートした、大佛次郎研究会の手塚甫会長が思い出を語る。
「夕陽が綺麗だから一緒に見よう」
昭和41(1966)年、鎌倉のご自宅で初めてお会いした時、大佛先生はそう言って近くの山に案内してくれました。翌年から朝日新聞で連載が始まる『天皇の世紀』に向け、ご自宅の蔵書の整理に学友と共に伺った時のことです。朝日新聞は、東京大学史料編纂所の坂本太郎元所長ら錚々たる学者による委員会を設立。早大大学院の博士課程で学んでいた私は、資料の蒐集整理や記事の校閲などを担当しました。
会津や水戸など各地の取材にも同行しましたが、思い出深いのは、連載開始の年に10日間の日程で訪れた福岡と山口です。先生はお酒好きですから、奥様から旅先で飲むためのナポレオンを渡されて旅立ちました。大宰府跡や元寇防塁、松下村塾などを巡りましたが、私の他に同行者はいません。終始、傍について動いたのですが、まず驚かされたのは、先生の言葉遣いでした。案内をしてくれる人が市長であるか、中学校の職員さんであるかを問わず、同じように丁寧に対応していたのです。
先生はよく、取材の目的を「その土地の匂いを嗅ぎに行くんです」と言われました。高杉晋作の墓では、「高杉はどんな髪形をしていたんでしょうねえ」と尋ねられたことも。実際に現場を見ることで、人々の心情まで感じ取ろうとしていたのです。
『天皇の世紀』でも、心情を描き出すことを大切にしていました。農家に生まれた渋沢栄一は尊攘派志士を経て、徳川慶喜に仕えます。江戸に出る前、父親に許可を求める場面では、父が「勝手にするがよい」と認める一方で、自らは生き方を変えず、「乃公(おれ)は麦を作って農民で世を送る」と語った言葉を紹介。幕末という波乱の中で、息子を送り出す父の複雑な心情が込められています。
先生は高名な作家ですが、優れた歴史家でもあります。私は後に北里大学教授として歴史学を教える立場になりましたが、先生の原稿やゲラを読みながら、自分も読んだはずの史料から先生はずっと広く深く読み取っていることを知り、我が身の勉強不足を痛感させられたことが何度となくありました。これは才能の違いだけでは片づけられません。学問に対する真摯な姿勢の中に、どんな問題意識が隠されていたのでしょうか。晩年はその姿勢に、更に凄味が加わったように私には思えます。
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