ペネロペ・クルスが、また火を噴いている。まるで歩く火炎放射器だ、と口にしかけて、さすがに思い直した。これではゴジラと誤解されてしまう。いくらなんでも、イメージがちがうではないか。
クルスが火を噴いたのは、マイケル・マン監督の新作『フェラーリ』(2023)のなかだ。演じたのは、主人公エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライヴァー)の妻ラウラ。ふたりは会社の共同経営者でもあるが、複雑な事情に取り巻かれている。ラウラは、憤懣と絶望を隠せない。外股に開いた足を踏ん張り、腹の底から強い声を出す。朝食の時間にやっと帰宅した夫に銃口を向けたこともある。
このときの言葉の責めが凄まじい。火炎放射器というよりも、心の鳩尾(みぞおち)に、爪先で蹴りを入れるというほうが適切かもしれない。疼痛に夫は呻く。顔もこわばる。私は反射的に思った。この演技は、『それでも恋するバルセロナ』(2008)の拡張版ではないか。
そちらのクルスは、色男の画家フアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)の元妻マリア・エレナに扮していた。ふたり組の若いアメリカ人旅行者と続けて親密な関係になった画家のもとに、感性が豊かで情緒の不安定な元妻が戻ってくる。
このときもマリア・エレナの責めが多彩だった。苛烈な罵倒や悪態を並べ立てて能事足れりとするのではない。嗜虐のなかに未練を滲ませ、拷問のなかに愛着を潜ませるのだ。すれっからしのバルデムが、本気でたじたじとなっていた。数年後、ふたりは実生活でも結婚する。
下手を打つと、陰惨で収拾のつかないものになりかねない三角関係や四角関係の描写が、この映画では不思議に祝祭的な色彩を帯びていた。大きな要因は、クルスの重層的な演技と体質だと思う。この興味深い特性を、彼女はどこで身につけたのだろうか。
思い当たるのは、やはり鬼才ペドロ・アルモドバル監督の存在だ。1974年生まれのペネロペ・クルスが初めて出たアルモドバル映画は『ライブ・フレッシュ』(1997)だ。名作『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)の修道女役も印象的だったが、両者の協働がカチリと音を立てたのは、『ボルベール〈帰郷〉』(2006)で久しぶりにタッグを組んだときではないか。
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