戦争に敗北してから、本土復帰が決まるまでの沖縄を、外部からの観察者である日本人作家が、沖縄人の魂になりきることを装って描いた意欲的作品である。
現下の日本は国家統合の危機に瀕しているにもかかわらず、その現実が大多数の日本人には見えていない。評者の父は東京出身、母は沖縄の久米島出身だ。そのため評者は沖縄人と日本人の複合アイデンティティーを持っている。近年は沖縄人としての自己意識が強まっている。だから、沖縄人が抱える日本と日本人に対する違和感が皮膚感覚でわかる。この皮膚感覚を言語に転換するのは難しい作業だ。
真藤順丈氏は、文献の精査と聞き取り取材によって、沖縄人の無意識を言語化することに挑戦した。ウチナーヤマトゥグチ(琉球語の語彙を部分的に取り入れ、アクセントとイントネーションが標準語と異なる日本語の方言)を多用しているところにその成果が現れている。変人、イカレ野郎には、フリムン(気が触れた人)というルビをあてている。沖縄人に「ウチナンチュ」というルビをあてているが、これは「ウチナーンチュ」とした方がよかったと思う。琉球語では「ウチナー」とかならず音引きが入るからだ。また、丸括弧の中に「語り部」によるコメントを差し挟むという構成をとり、小説の外部から作品を批評することにも成功している。
本土復帰前の沖縄での歴史的事件、具体的には、米軍曹に6歳女児が暴行、殺害された「由美子ちゃん事件(嘉手納幼女殺人事件)」(1955年9月4日に遺体発見)、宮森小学校米軍機墜落事故(1959年6月30日)、「コザ騒動(いわゆるコザ暴動)」(1970年12月20日)を作品の舞台としている。米軍基地から、物資を盗み出す戦果アギヤーと周辺の人々を中心に、生き残るために必死だった沖縄人たちを描く。
米軍政下の戦果アギヤー
〈コザ(引用者註*現在の沖縄市)でいちばんの戦果アギヤー(と、島の言葉で呼んだ。戦果をあげる者って意味さ)は琉球(りゅうきゅう)政府の行政主席よりも拳闘のチャンピオンよりも尊敬と寵愛(ちょうあい)を集めてやまない、地元にとって代えのきかない存在だった〉
主な舞台回しをするのは、オンちゃん、グスク、レイという3人の戦果アギヤーとオンちゃんの恋人のヤマコだ。いずれも戦災孤児だ。
1952年夏の旧盆最終日に3人は、嘉手納基地に侵入した。
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source : 文藝春秋 2019年7月号