「運命の女」というテーマは幼少期の記憶が発端
――作風についてはまだ自覚できないということですが、前作『凱里ブルース』と本作を続けて見るとどうしても2作品の連続性を見出したくなります。監督としてはその連続性はどの程度意識していたのでしょうか。
ビー・ガン おそらく僕の性格上での特徴や習慣、それと個人的な偏った美観センスが影響しているのでしょう。往々にして、多くの作家は、過去作に登場した人やものが次の作品でも生命力を持ち続けることを期待されます。僕自身としては、二つの作品には多くの部分で決定的な違いがあると思っています。たとえば両者はまったく異なる質感を持っています。一つは軽やかで、もう一つは濃密です。
――『凱里ブルース』での後半でのワンショットシーンを撮影した際、技術的に満足できない部分があり、それが『ロングデイズ・ジャーニー』の後半部分に生かされたのでは、というお話も聞きましたが……。
ビー・ガン 友人の多くも、同じような質問を投げかけてきました。一つ言えるのは、僕は決して、前作でのあのシーンについて「遺憾」の思いは持っていないということです。本当にそれを遺憾に思うならタイムマシーンに乗って過去を変えてしまいたいと願うでしょうが、そんなことは決して思わない。だから僕はこの変化を「遺憾」によるものではなく「運命」だと言いたい。二度も長回しの手法を使ったのは、シンプルな考えからでした。『凱里ブルース』では、いかに見る側が時間との関係性を意識できるか、そのために長回しにする必要があった。今回の作品は、みなが共に一つの夢を見るためにこの撮影技法が必要だったのです。
――タン・ウェイ演じる緑色のドレスを着た謎めいた女が物語を牽引していきますね。監督は彼女の造形についてヒッチコックの『めまい』も参考にされたとおっしゃっていますが、映画史においてファムファタールは数々の名画をつくりだしてきました。監督もやはりこの「運命の女」という存在に強い関心を抱いているのでしょうか。
ビー・ガン 「運命の女」というテーマは、僕の幼少期の記憶が発端です。主人公とヒロインとの距離感は、僕の父と母の関係に近い。僕が幼い頃に両親の婚姻生活は破綻し、母は遠くの地へ去りました。僕の中で長年反芻し続ける母への問いかけがいくつもあり、それを映画の言葉で表現できないかと考えたんです。問いの答えは未だ出ないままです。おそらく今後も僕にとって大きな課題であり続けるでしょう。
Bi Gan/毕赣 1989年生まれ。2015年、長編第1作『凱里ブルース』(4月日本公開)が高い評価を受け、長編第2作『ロングデイズ・ジャーニー』が世界の映画祭を席巻。詩人でもある。
INFORMATION
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』
2020年2月28日(金)、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリー、池袋HUMAXシネマズほか全国順次公開
配給:リアリーライクフィルムズ+ドリームキッド
https://www.reallylikefilms.com/longdays