1ページ目から読む
2/3ページ目

内海 いや、いつも「次来る、次来る」って言ってたな。

駒場 うん。「次や、次や」って。

「そもそも準決勝が目標でしたから」

――そうして7番目、ようやくミルクボーイの名前が挙がりました。

ADVERTISEMENT

内海 なんか、わかったよな。

駒場 ラグビー日本代表の福岡(堅樹)選手がクジを引いてくれてたじゃないですか。顔に出るんですよ。ほー、みたいな顔をしたり、知らんなって顔をしたり。このときは無反応だったので、自分たちかなと。

1986年2月5日大阪府出身の駒場

――ステージに立った瞬間、どうでしたか?

内海 客観的に見てたな。ほんまにM-1に出れてるんやって。ちょっと笑ってまいました。

駒場 めっちゃ緊張してましたけど、でも、まあまあ、いつも通り行こうや、みたいな。

内海 そもそも今年は準決勝が目標でしたから。そうすれば劇場の出番も増えるだろう、と。正直、決勝までは考えていなかったので。

準決勝通過でも「やったー!」と叫ばなかった理由

――準決勝後、ファイナリストのコンビ名が読み上げられたときも、どちらかというと淡々としていましたもんね。中には絶叫したり、号泣したりするコンビもいましたけど。

内海 いや、あそこは、名前を呼ばれても、黙って礼するだけにしとこうって決めてたんで。

駒場 初期のころのM-1では、大阪の芸人さんは、みんなそんな感じでしたよ。落ちた人もいるわけですから。僕らもその姿に憧れていたんで。

内海 あの雰囲気の中で「やったー!」は違和感がありますね。

駒場 通過者が感情を爆発させるようになったのは2015年にM-1が復活してからですよね。

――そう言われると、そんな気がします。だったら、決勝は、ある意味、ご褒美というか、のびのびできた感じでしょうか。

内海 スベる可能性はありましたけど、不安はなかったですね。スベったとしたら、スベるパターンだったかと思うだけで。

駒場 ゼロか、100かみたいな。めっちゃウケたらめっちゃウケるやろうし、全然あかんかったらあかんやろな、と。

内海 お客さんがどうなろうと、僕らは同じことをやるしかないんで。

決勝では7組目で登場した ©M-1グランプリ事務局

――そこは腹がすわっていた。

内海 3年続けてきた「漫才ブーム」という僕らのライブがあるんですけど、決勝の1週間くらい前、とうとうNGK(なんばグランド花月)でやらせてもらえたんです。お客さんも800人くらい集まってくれて。決勝進出が決まっていたので、すんごい拍手してくれて、すんごい応援もしてくれて。それまでは決勝でウケるかどうか不安やったんですけど、決勝でスベってもこの800人は僕たちのことを好きでいてくれるやろと思った。そうしたら吹っ切れましたね。不安をすべて拭えた。