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2020年の東大入試で起きた事件。 “国語”の問題に示された受験生へのメッセージ

2020年の東大入試で起きた事件。 “国語”の問題に示された受験生へのメッセージ

2020/03/02

genre : ライフ, 読書, 教育

偏差値の低い学校から東大を目指すには?

 最近では、文部科学大臣による「身の丈にあった受験」という言葉が物議を醸しました。この発言自体は決して擁護されるべきものではありませんが、背景にはこのような実態があるのです。

 もちろん、そのような恵まれた状況ではなく東大に合格した学生もいます。偏差値の低い学校から東大を目指す――漫画『ドラゴン桜』のような――逆転だって不可能ではありません。しかし、そこには大きな落とし穴があると言えます。

 僕はそれまで東大輩出者数ゼロの高校出身で、高校3年生の頃の偏差値は35でした(二浪を経てやっと東大に合格)。また現在、僕は、現役東大生たちによる「リアルドラゴン桜プロジェクト」という試みで、東大輩出者の決して多くない高校から東大合格を目指す学生たちを日々サポートしています。

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©文藝春秋

人間は環境に左右される生き物

 そして、僕が見てきたかぎり、教育による「階層構造の再生産」とは経済的な格差や情報の格差ではなく、「意欲の格差」が大きなボトルネックになっているのではないかと感じます。

 人間は環境に左右される生き物です。そして、日本人というのは他の国の人に比べてその傾向が強いとも言われています。「出る杭は打たれる」「空気を読む」文化がまだまだ根強い。

 その状況だと、まずもって「東大を目指そう!」というような意欲的な学生は、それまでOB・OGに東大生がいない/少ない学校ではなかなか生まれにくいのです。これは何も、勉強面における「東大」に限ったことではないかもしれません。部活や課外活動も含め、周囲に模範になる先輩や同級生が少ないと、何かに意欲的に取り組むことが「かっこ悪い」という雰囲気が残念ながら生まれてしまいます。

「なんで東大なんか目指すの?」

  「なんで東大なんか目指すの? 俺らなんかバカなんだから、無理に決まってるじゃん」。

 高校時代にそう言われたことは一度や二度ではありません。

「行きたい大学ではなく、行ける大学を目指す学生が多くなっている」

「飢餓感がなく、周りに流されていればいいと考える学生が増えている」

 そんな現場の先生方の声を聞く機会が多いのも不思議ではありません。