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女性がゲイバーの常連客になっていく

「お店にはかわいい男のコもいたし、女の人にとっては同性ともちがうし、異性でもない私たちと過ごすのが楽しかったみたいで、少しずつ女性のお客さまも増えていきました。仕事で気を遣っている女のコたちにとって居心地のいい場所だったんだと思います。だって、ファッションの話も、お化粧の話も、恋愛の話だって気兼ねなくできるのが私たちだから」

 女性の常連客ができると、キャストと客との交流もさらに深まっていく。

「そのうち、女性客が私たちに化粧品をプレゼントしてくれるようになって、私たちもお化粧をするようになったんです。そこからさらに共通の話題が広がるし、私たちも堂々とお化粧ができるようになる。それでショーの内容も少しずつ変わっていきましたね」

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 女性客からプレゼントされた化粧品を使い、きれいなメイクを施すことで、さらにショーとしての完成度は高まり、華やかさは増し、より洗練されていく。

 客と店との相乗効果が生まれはじめていた。

写真提供/白い部屋

 当初は、天地真理の『恋する夏の日』や、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』など、折々の流行歌をモチーフにした替え歌に合わせて踊る「当て振り」がメインだった。

 やがて、きれいな舞台衣装を身にまとい、入念なメイクを施し、振付師の指導を仰ぎ、本格的なショー形式へと進化を遂げ、すぐに「白い部屋」の名物となっていく。

 かつては22時にオープンして、朝の5時まで営業していた。この間、24時、2時、4時の1日3回、ショーを行っていた。

変化を受け入れなければ新宿二丁目で生き残れない

 しかし、1984年に大幅改正された「風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)」の施行により店の営業は24時までとなった。

「風営法がはじまる前は、『もう終電がないから二丁目に行こう』という状態だったのに、施行後は逆に、『終電前には帰ろう』となりましたからね。私たちからしたら、それはもう大きなダメージでしたよ」

 1980年代前半から半ばにかけて新宿二丁目がエイズ禍に揺れたときも、「昭和」から「平成」に変わり、世の中が狂乱のバブル経済に浮かれていたときも、それが弾け未曾有の大不況が訪れた1990年代も、「白い部屋」は「白い部屋」であり続けた。

「エイズ騒動のとき、《エイズ=オカマ》みたいに世間では言われていたけれど、むしろ新宿二丁目の人たちは真摯に受け止めていましたよ。ちゃんとバーのカウンターにはゴムが置いてありました。きちんと対応策も勉強していたし、むしろノンケの人たちよりもちゃんとしていたと思います。ゲイの世界の方がきちんとルールを守っていた。そんな思いはずっと持っていましたね」

 最近では公式YouTubeチャンネル「白い部屋オヨヨTV」を開設。キャストたちがざっくばらんに語り合い、それぞれの個性が垣間見える新しい試みにもトライしている。

 変化なくしては生き残ることはできないのだ。